2008年に素人趣味人として出演した時の思い出

『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)が今年の3月末をもって終了する。1982年から約40年続いた番組がついに流浪の旅を終えてしまう。

私は幸いにも素人趣味人として、2回出演させていただいた(「換気口鑑賞」と「八重歯」)。
世の中には、『タモリ倶楽部』に出られる人生と、出られない人生があり、自分が出られる側だったことに誇りを持っている。

最初に出演オファーをいただいたのは2008年。当時『タモリ倶楽部』は今以上に素人趣味人を多く出演させており、私の周囲でも声がかかっていた人が何人かいた。

私自身も色々と手を出していた時期で、あわよくば何かが『タモリ倶楽部』スタッフの方の琴線に触れればいいなと思いながら、休日にカメラ片手に変なものを撮ってはウェブサイトで紹介したりしていた。

番組からのオファーは「ビルの外壁の換気口を撮影する人」

結果「ビルの外壁の換気口を撮影する人」としてオファーをいただけたのだが、悩ましかったのは身バレ。実家の親にも会社にも特に言わずに休日趣味人を貫いていた私にとって、『タモリ倶楽部』に出ればかなり面倒なことになる。

とはいえ、『タモリ倶楽部』出演はサブカル団塊ジュニアにとってTo Doリストの一番上にあるタスク。そのリスクを考慮しても断る選択肢はなかった(ちなみにサブカル団塊ジュニアTo Doリストには他に「ロフトプラスワン系列でイベント」「TV Bros.で署名記事」「Quick Japanで署名記事」「単著発売」などの項目があった)。

当日は外ロケの予定が天候の関係でスタジオ収録になるなど、思ったようにはいかなかったが「世界でこれを撮影しているのは私ひとり」「換気口撮影のポイントは高さと汚れ」「聖地は新横浜」など勝手に決めたルールを堂々と語る私を、タモさんは面白がってくれた(タモリ倶楽部出演者あるあるとして、出演後「タモさん」と呼ぶようになるというのがある)。

『タモリ倶楽部』は唯一無二。出演ライターだからわかる、オンリーワン番組だった理由とタモさんへの感謝_1
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当時、タモさんは63歳で「近くで見ると意外と普通のおじいちゃんだな」と思ったのが第一印象だった。しかし、話してみると当然ただのおじいちゃんではなく、とにかく力が抜けていて、それでいて合気道の達人のようなすべてを受け止めるしなやかさや、哲学者のような思考の深さを感じさせる。そんな人だった。