「俺はここで暮らしていくから。前向きに」

恵子さんは馬を飼った理由をそう話すが、馬の数は次第に増え、現在は9頭になる。競走馬を預かって世話もしている。乗馬を楽しみたい地域のお客さんや、馬好きな人々が、三瓶さん夫婦の周りに集まるようになった。昼時は、茶菓子を囲んで、集まったお客さんたちと談笑するのが日課だ。朴訥な性格の三瓶さんの口数も増えた。

〈写真で振り返る東日本大震災〉原発事故から避難した酪農夫婦を待っていた現実「牛は愛玩動物ではなく生きるための資源」「私たちはもう被災者でもない」牧場用の土地を買って新たな生活へ_5
浪江町立請戸小学校の体育館にある時計は津波が襲った時間で止まっていた(2011年10月撮影)

「大玉村で馬の世話を始めるようになってから、夫婦に笑顔が増えた」

12年前から夫婦を撮る郡山氏もそう話す。

92歳になる三瓶さんの母・安子さんは4、5年前から認知機能の低下がみられ始めた。津島で暮らしていた頃は、家の横の畑で作業をするのが大好きだった明るい性格の安子さん。かつて、郡山氏にも「土いじりがしたいなぁ」と漏らしていたこともある。
だが、今では息子である三瓶さんの名前もわからない。もちろん、故郷のことも忘れてしまっているだろうと恵子さんは言う。昨年5月から安子さんは昼夜の生活が逆転しはじめ、今年2月、家族と離れて介護施設に入居した。

この12年で三瓶さん夫婦には孫もできた。そして大玉村には、三瓶さんの元に集まるお客さんや、近所のひとたちとのコミュニティーが生まれた。

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孫たちと年末のひとときを過ごす(2017年12月撮影)

「震災に遭った私たちは、ある時までは可哀そうな人だったかもしれない。だけど、ある時からは、もう被災者でもないと思っていますよ」(恵子さん)

目深に被った黒いニット帽から日焼けした顔をのぞかせる三瓶さんに、確かめるようにこう問うてみた。

また故郷に戻って暮らしたいですか?

すると彼は首を横に振りながら力強く言った。

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新たな生活を送っている三瓶さん夫婦(2023年2月撮影)
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「俺はここで暮らしていくから。前向きに。それなりに」

取材・文/甚野博則
集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/Soichiro Koriyama

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