酪農を廃業して新たな生活をスタート
そして当時の心境をこう続けた。
「猪苗代に避難する前、私は『牛、殺してから行くっぺ』とお父さんに言ったほど。もし牛を殺せる注射器と薬があれば、このまま殺してあげたいと思ったんです。
ただ残念ながら、そういう道具もなくてね。乳牛は野生動物ではない。だから自分の力だけでは生きていけない。私ら人間が100%管理して、人間のルールの中で人の役に立たせる動物。殺してあげようと思ったのも、愛情なんです」
5月になると、三瓶さん一家は、内陸へ約30kmの距離にある福島県本宮市に引っ越した。牛舎を借り、津島の牛舎で飼っていた牛を移動させた。そして親戚と共同で酪農を続けることになったのだ。
ところが、牛乳の出荷は禁じられ、搾乳しても廃棄処分する日々が続いた。
「酪農以外、私たちに何ができるのか……」
当時の三瓶さんは、郡山氏に自身の心境を、そう吐露している。東電からの補償金が入ったものの、酪農での収入は途絶え、それでも、なんとか生活を続けていた。そして震災から5年目にあたる2016年、夫婦は遂に大きな決断をする。
「もう酪農は無理だ」
廃業を決意した三瓶さん一家は、この12年で何もかもが変わった。
一家は福島県大玉村に移り住み、自宅から車で10分ほどの場所に牧場用の土地を買い、新たな生活を始めた。三瓶さん自ら整地を行い、厩舎も建てた。そこで安価な馬を2頭飼って、夫婦で愛情たっぷりに馬の世話をして暮らす日々だ。
「私たちは動物が好きだからね」