「牛は愛玩動物じゃない。生きるための資源」
「牛、まだ生きてるぞ」
気づくと夫婦は持っているものを全て投げ出すかのようにして、浪江町に向かっていた。
自宅に着いたが、牛舎の入り口で足が止まった。牛に対して申し訳ないという気持ちで、心が締め付けられる思いがした。
「すみません、自分ばっかり逃げて」
牛に謝る恵子さんは、牛たちの顔を直視できなかったという。だが、恵子さんの不安をよそに、繋がれた紐に絡まって死んだ1頭を除き、残りの牛は全て無事だった。猪苗代町に避難する1日前に生まれたばかりの仔牛まで生きていたのだ。
「猪苗代で生活していても、耳の奥で牛の声が聞こえてくるんだよ」
そう話す恵子さんの唇は、かすかに震えていた。
浪江町に戻ると、夫婦は6月頃まで牛の世話を続けた。近隣には、誰かが逃がした牛などの家畜が闊歩していたそうだ。
「動物愛護を訴えるNGOが、可哀そうだという理由で、繋がれている牛を見つけては、紐を切って勝手に小屋から逃がしていたようです」(写真家・郡山氏)
三瓶さんの元には、メディアも度々取材に訪れた。
「牛、可哀そうでしたね。牛も家族ですものね」
避難生活を美談にしたかったのだろうか。記者らは、三瓶さん夫婦に、そんな問いかけをしたそうだ。だが、それは三瓶さんにとって的外れな問いかけだった。
恵子さんがいう。
「牛は愛玩動物じゃないの。牛は我々が生きるための資源で、経済動物なの。乳が絞れなくなれば、餌を多くやって脂肪をつけさせてから屠畜する。そのお肉を人間がいただくわけでしょ。人のためになる牛。だから、単純に可哀そうだけでは済まされない。酪農家には、牛を飼っている責任がある。我々にとって、そこはきちんとした線引きがあるんだ」