あだ名は“ニンニン”…末裔であることを周囲に隠した少年時代

服部さんは1964年、三重県亀山市で生まれた。

「僕が生まれた年はちょうど(漫画)『忍者ハットリくん』の連載が始まった年。小学生の頃からあだ名で“ニンニン”と呼ばれていました。『ニンニンって言ってみぃ』と言われて、それに応えなきゃいけない状況が非常に恥ずかしくって、悔しくって、嫌でした。服部という名前が恥ずかしい……そんな幼少期を過ごしていましたね」

それゆえに、幼いころから、祖父や父から「忍者の末裔だ」と聞いてはいたが、一切、口外することはなかったという。

「祖父や父からは『うちの先祖は伊賀の忍びだよ』『忍者なんだよ』とは、ずっと言われていました。でも、まわりのみんなは『忍者なんて架空の存在だ』と思っていたみたいでしたし、毎日“ニンニン”といじられる状況で、絶対末裔だなんて言えなかった。むしろ、父たちが言うことが本当なのかと疑問を抱いていました」

だが、服部氏が中学生になったとき、改めて、祖父らから「血筋」についての話があったのだという。

“忍びじゃない”服部半蔵の登場は「うれしかった」……服部一族の末裔当主が語る『どうする家康』と己の出自を隠した幼少時代_4
関宿にある深川屋

「きっかけは『仮面の忍者 赤影』の実写作。赤影は伊賀の忍者ではないのですが、『うちも伊賀忍者の血なんだぞ』とさらっと話を聞かされた。でも僕は『嘘だ、嘘だ』と思った。
ただ今にして思えば、その頃、『ニンニン』と言われて本当に悩んでいたと明かしたことがあったから、それで『実はな……』と詳しく話してくれたというのが、父たちの本当の気持ちだったのかな……。

その時に『“関の戸”というのは、忍者を隠すためにはじめたお菓子なんだよ』という話を聞いたのです。一族は、“諜報”をメインとして活動していた、いわばスパイです。和菓子屋を隠れ蓑に、道行く人を見つめ『今日はこういう人たちが行きかっていた』『こういう人たちが入ってきている』という観察をして報告したり、京都や大阪にお菓子を持って『行商』にいき、情報を得、また伝えていたのです」