「出てきてどんな気分や」って聞くまでここを離れない
都史君は、生きていれば19歳の青年だ。最後に森田さんに、都史君との思い出を聞いた。
「母親に引き取られて上手くいかなくて、本人たちも私と暮らしたい言うてね。結婚してたときも、ほぼ私が面倒みてましたから、弁当つくって、おしめかえて、私がお兄ちゃんも都史君も面倒見てたんでね…
『お父さん、毎日仕事で疲れてるやろ』って、目玉焼きとご飯作ってくれてね…。
『何かしてほしいことある?』って聞いてくれたときに、『せやな、都史君の好きなようやってくれてええよ』っていうたら『お父さんにパワーあげる』いうて、ぎゅーってしてくれたんですよね」
森田さんは言葉に詰まりながらも、大切に大切に心の中にしまった思い出を、言葉を絞り出しながら答えてくれた。
事件後、どこかに引っ越した中村受刑者の親だったが、近頃、自宅に戻ってきているという。
「一度だけ、一審判決後に中村の親2人がいきなり家に来たんですわ。それも電話もせんと手ぶらできて、『中村っていうもんやけど」って言うて。『筋道通してきてください」ってお断りしましたけど。事件後はどっか行ってたけど、近頃、よう帰ってきてるみたいです。でも明らかに、向こうは避けてますね。逃げるように家に入っていく。
私がこの辛い事件現場から引っ越さないのは、中村が出てきたときに、問いたいんですよ。都史君に変わって『出てきてどんな気分や』って。そのために私はここに居続けるんです」
森田さんは今も事故現場近くの自宅で、都史君の2歳年上のお兄ちゃんと一緒に暮らしている。遺族たちにとって、事件を直視することほど辛いものはない。それでも、森田さんが、事件、受刑者と向き合うのは、都史君への深い愛情に他ならない。
毎日、森田さんは、まるでそこに都史君がいるかのように、優しく、都史君の祭壇に話しかける。
「いつも(遺影の)都史君の顔つきが変わるんですよね。お父さんのこと見守ってくれてるんかなって、思って、これからもそれなりに頑張っていきますよ」
中村受刑者はいずれ出所をする。加害者たちは塀の外に出れば新しい人生が再スタートする。一方、森田さん、犯罪被害者、遺族たちの戦いは終わることはないのだ――。
取材・文 松庭直
集英社オンライン編集部ニュース班