証拠品のポロシャツが血で固まっていた
父親は私立大の教授、母親は民生委員を務め、姉2人は成績優秀だったという、中村受刑者は高校受験で失敗し、引きこもりがちになったという。
「本当に見かけたことがなかったんです。私自身、朝早くに出て行って帰るのも遅いですから、中村がいたことさえ知らなかった」
森田さんは、都史君と、2月5日、事件当日朝に話したのが最後の会話となった。
「今日は、夕方に帰ってくるからねって言って、それが最後になりました。昼15時ぐらいに、和歌山の仕事先に戻って明日の準備をしていたら、17時ぐらいかな。学校の先生から『都史君が事件に巻き込まれた』と電話があって。『事件ってどうしたんですか』って聞いたら『心配停止でね、今、心臓マッサージしてるから』って言われて。
『ドクターヘリで医大に搬送するか、どうするか』とも言われて、私は医大に向かったんです。でも全然来ない。そしたら、17時半ぐらいに救急隊の隊長から電話かかってきて『非常に厳しい状態で、私たちに子どもさんを任せて、お父さん、気しっかり持って来てください』って、それで地元の病院に着いたんが18時半ぐらいで。身体ズタボロやから、頭しか見せてもらえへんかった。でも、握った手が温かかったんですよ。賢明に、待っててくれたんかなって」
19時05分 森田都史君 死亡 享年11歳
事件の翌々日、自宅に潜伏していた中村が逮捕された。
「中村は、都史君を殺したあと家に帰って、全部服脱いで凶器も洗って、そして、長髪やった頭を丸めて、証拠隠滅をはかっとったんですわ。親も凶器買うてたん知ってたんやろと。裁判が終わってから、証拠品の都史君の着ていたポロシャツが返ってきたんですが、血で固まってしもててね。元々白やのに、何度洗っても、漂白しても、赤土が練り込まれたように茶色なっててね。今でも、匂うんですわ。あれから8年も経っても」
そして、絞り出すように森田さんはつぶやいた。
「これだけの執念でしせなかんかったことなんやろか。触ってみなわからん、匂ってみなわからん。
刑事さんにあとから聞いた話やと、身体メッタ刺しにされて、瀕死の状態で、都史君が『もう許して』って命乞いしたのに、中村は、『最後までやるんや』(殺害するんだ)言うてね……。第一発見者の方が心臓マッサージしてくれたけど、肩からお腹のほうまでざっくり切られているから、血が波のようにあふれ出してたそうですわ。医者が『お父さん、これほどまでにむごいことはない』って言われてね」
身体を凶器で傷だらけにされながらも、最後の力を振り絞り、都史君は中村受刑者に向かって、手を胸元で合わせ、命乞いをしたという。しかし、中村受刑者は、凶器を振りかざし、頭を二度切りつけた――。
「中村は引きこもってたでしょ。都史君や近所の子どもが騒いでいたのが、耳障りやったんでしょう」