「俺の話を聞け!」「俺に文句あるのか!」って
叫びまくっていた過去
――高知さんはTwitterでもご自身の考えや学んだことを積極的に発信していますよね。
Twitterは一人で自助グループをやっているつもりで投稿しているんです。自分のための戒めでもあり、訓練でもある。だからTwitterでどんなに「いいね」が付いても実感がないんですよ。自分に向けて投稿しているだけだから。
今でこそ、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えがあって、自分の過ちも見つめられるようになりましたけど、昔は全然違いましたからね。「俺の話を聞け!」「俺に文句あるのか!」って叫びまくってました。肩の力、入りまくり。そういう歪んだ認知にずっと苦しんでいたんです。
もちろん今だって完治しているわけじゃありません。完治なんてないですから。残りの人生をかけて、少しずつ回復し続けるしかない。人の話を聞く訓練をして、それを習慣にして、自分の間違っていた考えを改めるしかないんです。
いまだに古い考えがふっと頭をよぎることはあるんですよ。でもすぐに「その考えは違うぞ」って、ようやく気づけるようにはなりました。
――「肩の力、入りまくり」だったのは、地元を出て東京に来たばかりの頃とかですか?
うーん……いや、もう幼い頃、ばあちゃんの家に住まわせてもらっていた時からですね。俺は物心ついたときから両親がいなくて、祖母と叔父夫婦の家で育ったんです。捨てられたら困る、いつ出て行けって言われるかわからない、だから常に気を張ってました。
その幼少期の体験があるので、小学生のときにいきなり母親が現れたり、途中から「これがあなたの父親よ」って人が現れたりしても、なかなか肩の力を抜くことなんてできないですよ。
――著書『生き直す』(青志社)にも書かれていますが、そのお母様もお父様も、一筋縄ではいかない大人でした。
そうなのよ。母親はヤクザの親分の愛人で、ってことは、父親はヤクザの親分でしょう。それでどうやって肩の力抜いて生きていけるのよって話ですよね。