夢と現実、両方を手に入れるために選んだテレビ局
――ちなみに村瀬さんはフジテレビの新卒採用ではなく、大学卒業後は日本テレビに入社したそうですね。テレビ局に興味を持ったのは、なぜなのでしょう?
大学時代にバンドを組んでいて、わりと本気でプロになりたいと思っていたんです。その傍ら、映画サークルではシナリオを書いたり、劇団で音楽を作っていたり……。将来はそういうものでプロになれたらなと思っていました。
でも、大学3年生になったあたりで「俺、そこまでの才能ないんじゃないか」と気づいてしまったんですね。その上、高校の頃に父親が借金を残して死んでしまったので、もしも僕が大学卒業後に夢を目指して成功できなかったら、僕の人生はともかく母親はどうなってしまうんだろうと考えてしまいました。でも、夢は捨てられなかった。そこで安定と夢、どちらも叶いそうな道はないかを探した時に、テレビ局が思い浮かんだんです。
――テレビ局の総合職の場合、ドラマの制作以外に、バラエティや報道、音楽などいろいろな選択肢があると思います。その中で、一番やりたかったことは?
当時からドラマに携わりたかったですね。僕が入社した頃の日本テレビはだいたい40名くらい採用されて、そのうち10人くらいしか制作には進めなかったのですが「絶対に制作に行く!」と意気込んでいました。
もちろん僕以外にも制作に行きたい同期は多かったですね。だから、研修期間中に出されたキャッチコピーを作る課題とか、企画を考えてみる課題を研修としてとらえず、本気で挑んでいました。今でも同期とは仲がいいのですが、当時の僕は「絶対負けない!」と1人だけバチバチに燃えていたので、周りから見たらうっとうしい存在だったと思います(笑)。
――課題としてではなく、自分をアピールする場として捉えていたのですね。結果、どうなったのでしょう?
ありがたいことに制作へと進みました。当時の日テレでは、1年目からはドラマの制作に行けないシステムになっていたこともあり、まずはバラエティ番組につきました。1秒でも早く現場に行って経験を積みたかったので、ありがたかったですね。
ただ、今思うとそんなに焦らなくてもよかったなとも思います。ドラマ志望でありながら、営業や他の部署に回った同期もいたのですが、何年後かにドラマにやってきた人もたくさんいましたし。