「高校バスケの完成形」「異次元の強さ」田臥勇太2年時の能代工。その陰でかつての“スーパー中学生”が抱えていた”マネージャー転身の苦悩”
今からおよそ四半世紀前の1996〜98年。秋田・能代工業高等学校は高校バスケットボールの全国タイトルを総なめにし、史上初の「9冠」を成し遂げた。漫画『スラムダンク』山王工業のモデルともいわれる同校は、なぜ最強たり得たのか。田臥勇太ら当事者の証言をもとに、その軌跡に迫る短期連載。第6回は「田臥2年時の『完成形』/97年」編をお届けする。
「能代工9冠」無敗の憂鬱♯6
2年連続3冠をかけた決勝…「怒られ役」の覚醒
若月はミスを繰り返してもメンバーから外されることはなかった。2年になると試合を重ねていくなかで課題と向き合って修正し、不動のフォワードへと成長を遂げた。
そして迎えた山形南とのウインターカップ決勝。ここで“ショー”が展開された。
相手の得点源でもある、身長2メートルのセンター・伊藤和哉を潰すため、ボールを運ぶガードにドリブル突破されたと見せかけ、畑山と田臥がスティールしてカウンターのゴールを奪う。
相手がロングパスで伊藤にボールを供給することも想定済で、今度は若月や菊地がパスカットしてターンオーバーを狙う。開始10分で39-4。早くも大勢は決した。
右足を痛めたためアシスト役に徹した田臥に代わって、若月も得点を量産した。134-77と大差が開いた試合で、24得点11リバウンドと気を吐いた、かつての「怒られ役」は、3冠達成に欠かせない男となっていた。
「最強チーム」の愉快な去り際
「常勝」と呼ばれる能代工では、優勝した時にだけガッツポーズが許されている。
マネージャーの西條の号令で応援団に挨拶すると全員が拳を掲げ、歓喜を分かち合う。そんななか、誰よりも喜びを爆発させていたのが、キャプテンの畑山だった。
優勝直後のインタビューでマイクを向けられた畑山が、口を開く前にリズムよく腰をうねらせるダンスを披露する。横にいた田臥も照れくさそうに、ぎこちなく踊った。
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畑山がふき出しながら振り返る。
「前の日の夜に、田臥と『しっかり優勝しような。勝ったら絶対に俺らがインタビューに呼ばれるからやろう』って(ダンスを)練習してたんです。で、本当に自分がやったもんだから、『マジか……』って田臥、引いてましたね(笑)」
そんなキャプテンの姿に、監督の加藤は「なにやってんだよぉ!」と呆れながらも笑っていた。
3大大会14試合で100点ゲームは実に10試合。「最強のチーム」は、愉快に6冠を成し遂げた。
(つづく)
取材・文/田口元義
9冠無敗 能代工バスケットボール部 熱狂と憂鬱と
著者:田口 元義
2023年12月15日発売
1,980円(税込)
四六判/336ページ
ISBN:978-4-08-788098-4
のちに日本人初のNBAプレーヤーとなる絶対的エース・田臥勇太(現・宇都宮ブレックス)を擁し、前人未踏となる3年連続3冠=「9冠」を達成した1996~1998年の能代工業(現・能代科技)バスケットボール部。
東京体育館を超満員にし、社会的な現象となった「9冠」から25年。
田臥とともに9冠を支えた菊地勇樹、若月徹ら能代工メンバーはもちろん、当時の監督である加藤三彦、現能代科技監督の小松元、能代工OBの長谷川暢(現・秋田ノーザンハピネッツ)ら能代工関係者、また、当時監督や選手として能代工と対戦した、安里幸男、渡邉拓馬など総勢30名以上を徹底取材!
最強チームの強さの秘密、常勝ゆえのプレッシャー、無冠に終わった世代の監督と選手の軋轢、時代の波に翻弄されるバスケ部、そして卒業後の選手たち……
秋田県北部にある「バスケの街」の高校生が巻き起こした奇跡の理由と、25年後の今に迫る感動のスポーツ・ノンフィクション。
【目次】
▼序章 9冠の狂騒(1998年)
▼第1章 伝説の始まりの3冠(1996年)
▼第2章 「必勝不敗」の6冠(1997年)
▼第3章 謙虚な挑戦者の9冠(1998年)
▼第4章 無冠の憂鬱(1999年)
▼第5章 能代工から能代科技へ(2000-2023年)
▼第6章 その後の9冠世代(2023年)
▼終章 25年後の「必勝不敗」(2023年)