戦争回避を最後まで諦めない

国民の皆さんの生命と財産を守るという言葉が私は嫌いで、昔から本当に背筋がむずがゆくなるぐらい嫌いです。それは違うだろう。国民に犠牲を強いるのが国防なので、その犠牲を強いるに値する国家社会をつくるのが政治家の仕事だろうということです。

その大事なポイントを外すから、やれ敵基地攻撃すればどれぐらい効果があるかとか、そういう本当に戦術的な瑣末な議論しかできないんです。私は日本の防衛の一番の弱点はそこにあるんだろうと思っています。

日本は島国で逃げ隠れする場所もない。中国がやった台湾周辺を封鎖するようなミサイル演習がありましたが、あんなことがひと月も続いたら経済破綻します。日本なんか特に食料自給率も30パーセント台、エネルギー自給はもうほとんど10パーセント程度ですよね。島国で逃げ場がない。そして少子高齢化が進んで若い人がどんどん減っている。

おまけに、国民がみんな自分のことしか考えていない。そういう内向きの国民、現状志向の国民しかいない。こんな国が戦争という答えを出せるわけがないにもかかわらず、防衛力を倍増する、防衛費を倍増するとか、力を持てば何とかなるんだと勘違いしている。こんなことをしていると、いざという本当の危機が訪れたときに、柔軟な発想ができなくなってくるんです。

ロシアだって、結果的にずさんだけど、かなり周到な軍隊の配備とか戦争計画を持っていて、タイムスケジュールどおり進めていったけれどうまくいかなかった。ロシアは、大国にありがちですが、戦争を楽観するわけです。あんな国はひとひねりでやっつけられる、戦争は簡単だと思ってしまう。

今やらないとじり貧になると、将来を悲観する。戦争を楽観して将来を悲観する。これが、大国が戦争を選択する心理です。昔の日本もそういうことで真珠湾攻撃をしていったわけです。

相手に戦争の結末を楽観させないためにこちらも抵抗するという意味での拒否的抑止は、私は必要だと思っています。それから、いざとなればアメリカも黙っていないぞという意味の同盟政策も必要だろうとは思っています。

しかし、ただそれだけに依存していては、結局戦争というものは回避することはできない、防げないだろうと思う。

そして、今やらなきゃいけないと相手に思わせない、将来を悲観させないための安心供与とか、緊張緩和とか、相互信頼につながるところですが、そういう外交をぜひやっていかないといけない。

どういう防衛力ならもっといいのかみたいな議論じゃなくて、その戦争回避を最後まで諦めないですという、そこを訴える政党がぜひ出てきてほしいなと私は思っているんです。

そんなことを考えながら、本の座談会の時点からまた少しずつ状況は動いてきていますが、基本的な私のメッセージはそういうことになるだろうと思っています。ありがとうございました。

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