日本の知的世界は
空っぽに等しい

橋爪 なるほど。でもその熱意に水を差すようですが、日本の人々がこういう状況にきちんと反応できるかを考えてみると、現状は、大変悲観的ですね。
 それは、日本のリベラルな知識人や市民という人たちの良心の証明がどうなされているのかを見れば分かります。彼らがやっているのは政府に反対しているという態度表明だけです。政府を支えようとかちっとも思ってない。こういうやり方だと、社会を組織して国家を動かすことはできない。そういう経験が日本人にはない。憲法九条というものがあっても、機能してないじゃないですか。九条を文字どおり考えれば、自衛隊なんかあるはずがないんです。でも、それでいいや、現実にあるんだしみたいな中途半端な状態を国民の過半が支持している。
 今の現実を支えているのは誰かというと、政府の官僚とビジネスマンたちです。彼らは知識人ではないので、ああだこうだと言葉を発しないけれども、日常の業務の中で現実を支えて動かしている人々なわけです。彼らがどういう原理で動いているかというと、空気と忖度なんですよ。自分の所属する官僚組織や会社の流れを読んで、それに合わせて行動していて、その組織を離れて、国が、世界が、個々人がとか、そういうことを考える材料も勇気もないんですよ。
 だから、日本の言論や知的世界ってほぼ空っぽなんです。空っぽなところで何かやろうとすると、外国で流行っていることを翻訳して日本で商売をするというのが一番お手軽なやり方です。ポストモダンもそうだけど何の役にも立たない。その前にやることがあるだろうって思う。
 大澤さんと私は、切実にそう思っている二人組ですね。だけどまだまだ材料も足りないし、論敵も足りない。だから、外国の状況を踏まえて、論敵がいるつもりで、議論しなきゃいけない。『おどろきのウクライナ』はそういう本ですよ。

大澤 本当に僕もそういう気分です。橋爪さんが今、日本社会の体質みたいなことを話してくださったけど、日本人はウクライナで事が起きても、どこか遠くで起きていると思っているんですよ。確かに物理的には遠くで起きています。でも、自分もその現実の一部であるということに気づいてないんですね。同情の対象ではないのです。
 繰り返しますが、今世界で起きていることって、我々はその一部なんですよ。どうしようもなく関わっている。まして、中国とアメリカの対決によって台湾で有事がある可能性を考えると、その一部どころか当事者にもなりうる。日本の人々にはもっとそういう意識で世界を見てほしいと思う。

「巻き込まれたくない」が
強すぎる日本人

大澤 今、橋爪さんから九条の話が出ましたが、この間テレビで、台湾で戦争が起きたら自衛隊はどうするかという討論をしていたんです。普通に考えると自衛隊も参加する可能性は高いと思います。集団的自衛権、あるいはそれ以前に沖縄の米軍基地が標的になる可能性がかなりあるので、個別的自衛権でも当然戦うことになると思います。
 それはいいとして、テレビの議論では、日本が戦争に巻き込まれないようにするにはどうしたらいいかということを一生懸命話しているんですよ。中国とアメリカが仮に戦争をするとすれば、これは世界の方向を決めようとする戦争なんですよ。その世界の方向を決めようとする出来事の中で、自分は外にいて、それにどうすれば関わらなくて済むかという話を一生懸命しているわけです。
 ここで重要なのは、中国とアメリカが極めて厳しい対決状態にあるときに、あなたはどこにポジションを取るのかということでしょう。あなたもその一部なのだから。戦争に参加するにしてもしないにしても、そう考えなきゃいけないと思うんですね。中国とアメリカが戦争を始めちゃったときに、外側にいて、できるだけ火の粉が飛んでこないようにするにはどうしたらいいかじゃないんですよ。中国とアメリカの戦いの図式には、明らかに日本も入っているんですからね。そういう感覚があまりにも少ない。誰も関心を持ってない。
 今、中国とアメリカで分かりやすく話しましたが、今、世界中で起きていることは全部そうです。一見すごくローカルに思えることも、ほとんど全部のことがグローバルなコンテクストを理解しなければ分からないことが起きていると僕は思います。
 例えば中東で起きているある種の宗教的なファンダメンタリズム(原理主義)の問題にしても、日本にはあまり関係ないと思うかもしれませんが、ファンダメンタリズムがこんなふうに出てくるのは、やっぱりグローバルな資本主義の全体の動きを理解しなければ分からないんですよ。

自分事として考える
それが世界平和への貢献

橋爪 台湾有事を扱ったそのテレビを私は見ていませんが、どうすれば戦争に巻き込まれないかって話は、愚かに極まる。テレビ局も、登場している人も、影響を受ける視聴者もどうしようもないですよ。そんなテレビ番組が成り立つこと自体がおかしい。
 今、プーチンが動員令をかけて、ロシアの人が慌てていますね。「ウクライナの戦争はロシアに関係ありません。皆さんを巻き込まないで、ちゃんと勝ってみせます」と、プーチンはみんなにそう言って、メディアを総動員していたわけです。ロシアの国民もそう思って、八〇%、九〇%の支持を与えていたわけじゃないですか。日本から見ると、愚かだなと思うでしょう。でも、ロシア国内とウクライナの戦争とが切り離されるはずがないんですよ。切り離されないから、いよいよリアリティーが見えてきた。そしたら、みんな慌てて逃げ出している。つまり、それまではこの戦争の現実を自分のものと受け入れて考えてなかったからですよ。

大澤 スタンス的には日本と同じですね。見たくないものは見ない。

橋爪 うん、日本も同じかそれ以下だと思う。自衛隊は志願制だから、仮に自衛隊が防衛活動を行ったとしても、普通の日本人には影響がないことになっています。でも、いよいよ国が守れなくなったら、義勇軍になって国を守る以外ないじゃないですか。その準備なしに、台湾有事のことなんか議論しても無意味ですよ。
 台湾有事というのは、どう台湾を守って戦うかという話ですよ。どうすれば巻き込まれないかという話ではない。そんな話はたわ言であり、言論としては何の意味もない。でもね、日本の言論ってその種の、価値や原則の根底に降り立たない話がほとんどなんですよ。そういうのをかき分けて普通の人が手の届くところにまともな言論があること、そしてそれに触発されてまともに物を考える日本人が増えること、これが世界に貢献する道であって、言論で平和的にできることの最大のことですよ。
『おどろきのウクライナ』はそのささやかな試みの一つですけれども、この仕事をやり始めると切りがない。いくらでもやることがある。でも、一番の問題は論争する相手がいないということです。それで大澤さんと仮想論敵に向けてタッグを組んだ。

大澤 そうですね。一人だと、何もないところに向かってしゃべっている気分になってしまいますからね。

橋爪 うん、一人でやるより対談のほうが手応えがあるから、この本ができたわけですが、読者の方が読み手となり、場合によっては書き手となって、日本を立て直すきっかけにしていただけたらと思います。

大澤 そして、ウクライナであれ中国問題であれ、少なくとも自分もその世界の一部であるということを改めて認識してほしいと思います。

おどろきのウクライナ
橋爪 大三郎、大澤 真幸
未知の領域に入った世界をどう収拾するか、今こそ哲学が必要だ 橋爪大三郎×大澤真幸 対談 『おどろきのウクライナ』(集英社新書)_1
2022年11月17日発売
1,265円(税込)
新書判/400ページ
ISBN:978-4-08-721241-9
権威主義国家VS自由・民主主義陣営
プーチンは地獄の扉を開いた!

世界史的地殻変動を文明と宗教で読み解く
ポスト・ウクライナ戦争の世界

ー人々はなぜ、おどろいたのか。ー

それは、自明だと考えていた前提が、あっさり崩れ去ったから。
自由と人権と民主主義と、資本主義と法の支配と、言論の自由と選挙とナショナリズムと。
(橋爪大三郎氏「はじめに」より)
amazon 楽天ブックス honto セブンネット TSUTAYA 紀伊国屋書店 ヨドバシ・ドット・コム Honya Club HMV&BOOKS e-hon

オリジナルサイトで読む