橋爪大三郎×大澤真幸
未知の領域に入った世界をどう収拾するか、
今こそ哲学が必要だ
果たしてロシアは戦術核を使うのか――ウクライナ侵攻の苦戦や部分的な動員の発令で、ロシア社会はもちろん、世界中に不穏な動揺が広がっている。起きるはずのない戦争が起きている今、決して使われるはずのない核使用も現実味を帯びてきている。
そんな未知の領域に入った世界に私たちはどう対処していけばいいのか。橋爪大三郎氏、大澤真幸氏、二人の社会学者による『おどろきのウクライナ』では、今後の世界の本質を見抜くには、文明論、宗教学、歴史、社会学と、あらゆる視座が不可欠だと説く。
アメリカ衰亡の中で目立ってきた中国とロシアという二つの権威主義陣営のパワー。そこにどう立ち向かうべきか、私たちに何ができるのか。本書では四〇〇ページにわたって、今こそ哲学と思想が必要だという緻密で白熱した討論が展開される。
構成=宮内千和子
いったい今
世界で何が起きているのか
大澤 コロナが始まって以来、グローバルなレベルで見ると、すごくいろんなことが起きています。この『おどろきのウクライナ』もそうですが、それについて橋爪さんと私で何度か対談をしてきました。なぜ今、我々社会学者がここまで膝を突き合わせて話すのか。その理由は、世界で何が起きているのか、それがよく分からないからです。
二〇二二年二月、ロシアがウクライナに軍事侵攻した。それは確かに起きている。しかしなぜロシアがウクライナに戦争を仕掛けるのか、本当のところはよく分からない。あるいは、中国とアメリカが対決している。この対決も一体何なのか、よく分からない。
ある出来事が起きたときに、前提として考える、理論であるとか、図式であるとか、法則とかがあるわけです。それらを基に、これは何であるかということを僕らは理解します。今起きていることがなぜ分からないかというと、その背景にある法則や理論が分からないからです。
橋爪 なるほど。確かに分かりにくい。考える前提そのものが崩れてしまっているからですね。
大澤 そうなんです。例えば冷戦のときに、ベトナム戦争が起きた。これも大変な事件でしたが、冷戦がどういうものであるかという図式によって、僕らはベトナム戦争が何であるかが理解できたわけです。ところが今回のロシアのウクライナ侵攻には、それを説明できる理論や図式がない。
アメリカと中国が反目しあっているというけれど、その中国とは一体何なのか。今はもうかつての社会主義国家とは違うわけです。むしろ紛れもなくある種の資本主義です。けれど、僕らも対談の中で何度も論じていますが、中国の資本主義は、権威主義的体制とセットになっている。これはかつての社会科学の法則からすると、本来あり得ないものです。存在しないはずのものが存在している。だからこそ、単に起きていることの記述的な解説だけでなく、我々社会学者が、その背後にある図式や理論を懸命に読み解いていかなければならないと思うんです。
橋爪 そのとおりですね。コロナが起こっていよいよはっきりしましたが、世界は曲がり角を曲がって、新しい未知の道路に入っています。予想もしなかったけれど、それは確かです。冷戦後、グローバル世界が始まって三十年経ちますが、それもそろそろ終わって、次の段階に入りつつある。
どういう場所に我々が出てきたのか――。つながっているけど違う、このことがとても大事だと思う。我々の世界はどうしようもなくつながっているんです。グローバル世界だからです。例えばロシアの天然ガスや石油がヨーロッパやいろんな国に売られて経済を支えている。コロナも国境を越えて、あっちで流行ればこっちで流行り、世界全体で取り組まないとどうしようもない。ワクチンもアメリカが作って世界に配った。iPhoneも半導体も、中国で作ったいろんな工業製品がアメリカに渡り、世界に渡り、どうしようもなくつながっています。つながり過ぎです。
そこで何が問題になるかというと、考え方の違いです。考え方って自分で選択しているようでしてないんですよ。どうやってもそう考えるしかないという部分がある。その違いが問題になる。相手が自分と違う考え方をしているのが許せないという問題が起こる。グローバル化は今までお隣さんだったり近所のおじさんやおばさんだった人が、突然一つ屋根の下に引っ越してきて家族になったような感じです。すると、考え方の違いがトラブルの種になる。何でスリッパをそんな脱ぎ方するんだ、もっと朝早く起きなきゃ駄目だと、一々けんかになる。時には殴り合いになる。今そういうことが起こっていると思います。
とはいえ、ここまで相手の考え方を気にしなきゃいけない距離感は、グローバル世界では当たり前の在り方なんです。国際社会がもう一歩進化してそこまで考え方を調整しないと生存が成り立たない、もうそういう段階に来ている。だからこそ、相手の考え方がどこから来たのかを理解する作業が必要になるんです。
選択されるはずのない
戦争が起きている
大澤 橋爪さんのおっしゃるように、世界はどうしようもなくつながっているんですよね。コロナが起きたことで、今さらのようにそのつながり感を実感しました。まず単純にコロナの伝染の仕方の異様な速さ。初めは中国のローカルな出来事かと思っていたら、あっという間に世界中に広まっていた。これは、我々の世界がそれだけつながっているからですね。同時にもっと重要だったのは、コロナ対策での世界の協調です。コロナの場合自分の国だけ安全になりましたということはあり得ないから、国と国で協力しあうことが必要になる。今までこれほど国際協調が圧倒的に必要だということを感じたことはなかったんですね。つくづく庶民のレベルまでそれを強く感じたわけです。
でも、僕らが今までになく国際協調が必要だと思っていた矢先に、予想もしなかったことが起きた。アフガニスタンでは、アメリカ軍が撤退してもっと悲惨なことになり、とても協力したくないような変な政府が出来てしまった。ロシアのウクライナ侵攻もしかり、中国とアメリカの対決は台湾を挟んで、もっとポテンシャルとしては危険かもしれない。つまり、国際協調の必要性を強く自覚するに至ったまさにその状況の中で、逆にかつてないほど深い分断が生じているという、ねじれが出ているのです。
橋爪 そのことにもう少し付け加えると、みんなが世界はグローバル化したんだと思った矢先、二〇〇一年に九・一一が起きました。アルカイダがいて、タリバンがいて、ISが出てきた。この時点での我々の認識は、テロリスト、任意団体、はぐれた若者の問題だったんですよ。そういう過激な人たちが組織をつくって、悪さをしたかもしれないが、国家ではなかった。国家は正規軍を持っていて、場合によると核兵器も持っている。しかし、法律があって、常識があって、国際社会の中に収まっているという前提で物を考えていた。ロシアも中国もそこまで変なことはしないだろうと。
でも、今明らかになっているのは、ロシアは国家だけれど、変なんですよ。核兵器を使うと言っている。おまえたちがそういう考え方なら、俺たちは絶対に許さないと西側に拳を振り上げているんですよ。考えてみると、中国もどうもそういうことをやりそうな気配がある。北朝鮮は前からそうです。
という具合に、我々はテロリストのようなはぐれ者の若者グループを相手にしているのではなく、人民を率いている国家が相手なのです。その国家が国ぐるみで、相手を許さない、どんな手段にも出るぞという物騒なことになっている。今までの常識だったら、戦争という選択肢はないはずなんです。でも、現に戦争が起きている。ここがとっても新しいと思います。
ロシアがそう出たら、国連は機能しませんよ。常任理事国からロシアを追い出すと言っているが、追い出せないじゃないですか。だから、国連も機能しない。国連が機能することが戦後世界のはずだったのに、そのタガが外れてしまった。なので、いろんな意味で新しい段階に来ています。じゃ、これを収拾するのにどういう仕組みが必要か、それをまだ誰も提案してないんですよ。だから必死で考えないといけない。
今こそ哲学や思想が
必要だと思う
大澤 そうですね。冷戦が終わった九〇年ぐらいから、世界の思想がどう動いたかというと、多文化主義に代表される、差異やそれぞれのアイデンティティを強調する思想の流行です。こういう思想は、多様な人の共存を謳いますが、逆説的な結果を生む。差異の強調は、互いの間の壁を肯定し、さらに敵対や戦争の肯定につながりうる。今必要なのは、「差異」ではなく「同じ」に注目する思想です。
なので、今回の本の対談は、ウクライナ情勢、アフガニスタンの話、中国とアメリカの関係などに言及はしているけれど、目指すところは、さらにその先にある、世界がある意味で一つであるということを照準にした哲学や世界観を模索する気持ちが強かったと思います。
九・一一以降はっきりとしてきたのは、橋爪さんがおっしゃるように、もうごく一部の逸脱者の問題ではないということです。そうしたならず者のような行動を大国がするような状態になっている。今、国連が機能しないという話が出ましたが、その状態をどういう世界観の中に収めて、どの方向に向かうのがいいか全く見えていない。僕らはそれを立て直したいんですね。
何らかの意味で、大きく我々が変わらなきゃいけないことは分かっているんですよ。いろいろな変化や動乱が起きても、変わる方向さえ見えれば必ずしも悲観的なことではないと思う。どこに向かうべきか、あるいはどこに向かおうとしているのかさえ見えてくれば、この動乱をポジティブなものとして転換しうる手がかりを得ることができるんじゃないか。僕はそんな感じもしているんです。