東京五輪に続く大規模なスポーツウォッシング

上記文中の「今回ご連絡いただいた内容についても、FIFAおよび世界中のサッカーファミリーとともに、人権を尊重することにコミットし、人権保護の促進に取り組んでいくものと考えています」というくだりに、質問に対する漠然とした言及がごくわずかに感じ取れるかどうか、という程度だ。では、そのためにはどうするのか、何をしなければならないと考えているのか、という具体性はなにもない。

全体としては、言質を取られないように具体的な固有名詞や事象には触れないまま、自分たちが人権保護啓発活動に積極的に取り組んできたと主張する、いかにもお役所的で事なかれ主義のような文章だ。

ただし、日本のサッカー界が総じて反人種・民族差別の啓発運動に積極的かつ前向きに取り組んできたことは事実だろう。たとえば、やや旧聞に属するが2014年の浦和レッズ差別横断幕に対する無観客試合という対応、そしてその後にメディアや選手、関連団体で闊達に行われた議論は、日本サッカー界の健全さをよく示している。

また、昨年の東京五輪では、女子サッカーチームがイギリスとの試合前に、相手チームの反差別アクションに呼応する形で自分たちもピッチに片膝を突く行動をとり、差別反対の共感と意志を示したことは記憶に新しい。

ならば、今回のFIFAワールドカップでも、代表選手たちに何らかの意思表示や行動を期待することは可能だろうか。

上記JFAの質問回答から推測すると、日本のサッカー界がデンマーク、イギリス、オーストラリア等のように組織として何らかの意思表示を行うことはおそらく期待できないだろう。であるとすれば、次に我々が期待をつなぐことができるのは、選手個々人の行動だ。

日本代表のキャプテンを務める選手は、はたして腕にレインボーカラーを配したアームバンドを巻くだろうか。また、ピッチに立つ選手たちも同様に、自分たちが立つスタジアムの建設で命を落としていった何千人もの人々に対する哀悼の意や、国内の人権状況への憂慮を示す何らかの象徴的なアクションを取るだろうか。

これはアスリートたちが世の中の出来事にもっと積極的に声を上げるようにとジュールズ・ボイコフ氏や平尾剛氏たちが提唱している〈アスリート・アクティビズム〉の問題でもある。

そして、この大会を伝える日本の活字・放送メディアは、はたしてどのようにこの2022FIFAワールドカップ・カタール大会を報道するのだろう。

ひたすら「がんばれニッポン」の大合唱に興じ、勇気と感動の類型的な物語を飽きることなく再生産し続けるのであれば(そしてそうなる可能性は非常に高い)、我々は昨年の東京五輪に引き続き、またしても大規模なスポーツウォッシングを目の当たりにすることになる。

文・撮影/西村章

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