旧ソ連というラジカルなブランディングの成功

同日、オーナーの森一馬さんにも話を伺った。

「旧ソ連地域というわかりやすいテーマとライブ感のあるコミュニケーションで、絶対他にはないものがあると思ってもらえたことが『BUNKER TOKYO』が幅広く支持された理由だと考えています。原宿という土地柄、若年層にも『なんだここ?』という感じで興味を持ってもらえました」

森さんはもともと音楽制作を仕事にしていた。ファッションに領域を広げたのは海外移住が目的だったという。

「バイヤーって海外に住んでいるイメージがあったので(笑)。ベルリンに住んでいたときに共産主義時代のアウトプットに興味を持ったのが『BUNKER TOKYO』に至るきっかけですね。ゴーシャが流行っていた頃にラフォーレ原宿でロシアブランドセレクトのポップアップをやったらけっこう評判がよくて、ロシアの『BE IN OPEN』というウェブマガジンのイベントで講演を頼まれたんですよ」

原宿の商業ビルでのポップアップでは「Sputnik1985(スプートニク1985)」や「Volchok(ボルチョーク)」といったロシアの気鋭ストリートブランドを日本に紹介し、それがブランドを生み出した国のメディアに目をつけられたという形だった。『BE IN OPEN』の講演では、“なぜか”デザイナーが森さんにプレゼンする時間が設けられたという。

「ただの個人バイヤーなのに(笑)。そこで『SVARKA(スヴァルカ)』や『T3CM(ティースリーシーエム)』といった面白いブランドを見つけて、これだけあったらセレクトショップとして成立しそうだなと。ゴーシャは流行しましたが、それ以上を掘っている人はいなかったので、ここをテーマに本気でお店をやってみようと思ったんです」

ロシア・ウクライナなど旧ソ連専門。原宿で“一番トガった”セレクトショップが閉店、オーナーが語る現地デザイナーとの今後_f
右下は「SVARKA」とのコラボレーションアイテム

そうした経緯の中で、モスクワやキーウ(ウクライナ)、アルマトイ(カザフスタン)といった各地のファッションウィークに必ず招待されるようになった。思いがけないようなことに出会う瞬間も少なくなかったらしい。

「ウリヤノフスクというレーニンの出身地である街のファッションウィークで講演したときは、ビル一棟の大きさの巨大なポスターと自分の写真が街にたくさん貼られていて、ビックリしました。なぜか車の販売店に連れて行かれて乗っている姿や日本料理屋でおいしく料理を食べている様子を動画に撮られたり(笑)」

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ロシア・ウリヤノフスクのファッションウィークのポスター(中段右)に登場した森一馬さん 写真/森さん提供

しかし通常、こうしたファッションウィークに招待されるのはメディアであり、買い付ける側であるバイヤーは招待されない。

「店のテーマがニッチすぎて珍しかったからだと思いますね。僕自身、目立つ身なりなのでコレクションでファッションスナップを撮られたりデザイナーに声をかけられたりもしました。そういう出来事を全てSNSでリアルタイムに紹介していたのですが、そんなライブ感が日本国内での支持につながったと思います。イベントごとだけでなく、旧ソ連地域のブランドにはそうやって詳しく紹介するだけのバックストーリーが必ずあるんですよ」

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「BUNKER TOKYO」オーナーの森さん 写真/森さん提供

文化が違うから紹介したいというだけではない。現地では古典文学や演劇などのメインカルチャーが誰にでも通じる基礎教養として共有されており、それを下地にファッションもアートとして捉えられていると森さんは感じていた。

「ファッションウィークで仲良くなったモスクワの『futureisnown(フューチャーイズノウン)』のデザイナーはPDF10枚でコレクションの制作背景を送って来たり。タブーに切り込むサナヤとか、昔ながらのジェンダー観が強いロシアにありながらクィア的な表現をして、しかもロシアのファッションシーンの中心にいる『Roma Uvarov(ローマ・ウヴァロフ)』とか、とにかく語ることに事欠かないですね」

単に服を作るというよりも、詩的表現のアウトプットの一手段としてファッションを選んでいるような旧ソ連地域のデザイナーに大いに共感。コラボレーションも展開しながら「BUNKER TOKYO」を発展させてきた。

デザイナーのこれからの表現を伝えることが支援に

「そういう人たちですから、情報も幅広くチェックしているし、このウクライナ情勢に疑問を抱いている場合も多い。先ほど名前を挙げた『futureisnown』のデザイナーは今の情勢を受けてロシアからキルギスに亡命しましたが、戻らない覚悟だと言っていました。他方で僕はもちろんウクライナのデザイナーとも付き合いがある」

ウクライナ領内での爆撃が開始された頃には、友人たちから悲痛なボイスチャットを受け取る機会も多かったという。

「この状況で輸入も厳しくなり、ライブ感を大事にしてきた『BUNKER TOKYO』は続けられないと考えました。でもそもそも僕自身が店を開いたのは、洋服を売ることではなくカルチャーを伝えることが目的だったわけで、そう考えると今まさに激動にさらされているデザイナーたちの今後を伝えないでどうする、と思い直してオンラインショップだけは維持することにしました」

ウクライナでは日本円にすると月に数万円が普通の月収で、小規模なバイヤーからの買い付けでもそれなりの収入になる。また、今後さらに閉鎖的な環境になっていくだろうロシアのデザイナーと関わりを持ち続けることも重要だ。売買する場所を残すことこそひとつの支援の形ではないかと森さんは言う。

亡命したキーウのファッションウィークのスタッフは「落ち着いたらまたキーウで会おうね」と連絡してきた。ロシアからの亡命先で製作の環境を整え出したデザイナーもいる。モスクワで活動を続け、現況に批判的なメッセージを出すブランドも。

「個人の気持ちはそれぞれです。旧ソ連をノスタルジックなものとして援用する表現は今までの状況だからできたことですが、危機的状況を経験する中でデザイナーたちが何を作っていくのかを伝えること、経済的に成立しうる発表の場を用意しておくことが、これまで関わってきたバイヤーとしての使命だと思っています」

取材・文/宿無の翁
撮影/柳岡創平