人と交流ゼロの軟禁状態が続き、幻視、幻聴が……

高校の卒業を前に、両親から50万円を渡されて「家を出て行くように。一切家の中にモノを残さないで」と命じられた。

「卒業後は義父の知り合いのプリント配線板の設計会社で働きました。手に職をつけさせようとしたんだとは思いますけど、僕の認知では“捨てられた”です。

50万円で敷金、礼金などを払い、給与で借りられる物件を探しました。風呂なしのアパートを借りようとしたら、両親が保証人になってくれなかったんです。会社の人に相談したら、部長が保証人になってくれました。

設計図面の引き方を教わったりして、仕事はそれなりに楽しかったけど、コミュニケーション能力が育ってなかったので、注意されることが多かったですね」

(撮影/集英社オンライン)
(撮影/集英社オンライン)

20歳のときに呼び戻されて、義父の会社で働くことになった。設計の業務を与えられ、「明日までに完成させるように」と命じられ徹夜で作業することも。

毎日、朝9時から夜11時まで働かされて、残業代なし、昇給なし、有給なし、給与明細もなし。雇用保険にも入っていないことが後でわかったそうだ。

おまけに、有無を言わせず中古のワンルームマンションを買わせられたという。

「思考力を奪われて、年収300万円なのにバブル崩壊直後の高い時期にローンを組まされて、完全に親に足かせを食らったような状態です。勤務している執務スペースには義父しかいなくて、他人との会話も交流も一切ない。

義父は仕事の指示や命令、それか怒るだけで、母親は父の顔色を見ている。僕は周囲に友だちゼロで、社会的ひきこもりというか、今考えると強制収容所に軟禁されていたようなものです。

その後、40代でひきこもったときよりも、本当のひきこもりはそのころじゃないかと思っています。

自己肯定感は限りなく低かったし、自傷行為も酷かった。血が出るまで引っ掻いちゃうから体中が傷だらけで。

で、28歳のころから、幻視が見え、幻聴が聞こえ始めたんです」

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

最初は、左側にぼんやりとした人影が見えて、「死ねー!」「バカー!」と男性の声で悪口が聞こえた。

しばらくすると、右側にも人影が見えるようになり、「そんなことないよ、頑張っているじゃん」と女性のやさしい声で味方をしてくれる。

園田さんは右側の人影を「お友だち」と呼んで毎日のように会話をした。

「自転車で会社から帰るとき、お友だちと会話していて、電柱にガーンって突っ込んだこともあります。だって、目線はお友だちのいる方に向いてるんだもん。ものすごい痛かった」