精神科医に伝えるための証拠として撮影
藤野氏が姉の“発症”に気づいたのは1983年だったという。
「ある晩に、姉が突然大声で現実的でないことをしゃべり始めた。『パパがテレビの歌番組に出ていたとき、応援しなくてごめんね』とか、そういうことを。
その日に母が救急車で病院に連れて行ったのですが、診察の結果は『問題ない』ということでした。
両親も姉は病気のふりをしているだけだと言っていましたが、その後は、普通に生活している日もあれば、食事中に突然食卓の上に上がって叫び始めたり、見えない人を逮捕してくれって警察に電話したり、私としては両親の説明に違和感がありました」
はじめて家の様子を録音したのは1992年だった。
「もともとは記録を残すだけの意味で、ウォークマンで録音したんです。
『両親が姉を病気ではない、なんでもない』って言っていると、“なんでもない”ことだけが残ってしまう可能性もあるので、いずれ精神科医に伝えるための証拠として録っていた。
その後、映画学校で映像の撮り方を勉強し、カメラも買ったので、2001年からは映像で撮り出した。それが、姉の発症とみられる日から18年経った後でした」(藤野知明監督、以下同)
初めは音声だけの録音だったが、2001年以降は、帰省のたびにカメラを回すようになった。そこには両親との会話シーンや、当時のお姉さんの日常などが収められている。
「両親は姉になにがあったかを僕にはあまり説明してくれないんですよ。姉がいなくなり、両親が捜索願を出したこともあります。姉は1人でNYに行っていたんです。それを知ったのも半年か1年後。たまたま僕が、実家でNYの領事館の方の名刺を見つけて問い詰めてわかった。
他にも姉はアメリカの詐欺グループにお金を送っていたらしいんですけど、そういうことも何度か親に聞くと、少しずつ話してくる感じで。いろいろトラブルはあったんでしょうが、僕が聞いても『全く問題ない』としか言わなかった」