「TOEIC満点でも英語はしゃべれない」のはなぜか?

私は1979年に渡米し、コーネル大学で化学を専攻し、その後ニューヨーク医科大学で2年間基礎医学を学んだあと、1984年から今まで40年以上取材・執筆活動をしてきた。1997年まではマンハッタンを拠点にして、全米50州のうち49州、そしてアメリカを含む49カ国に取材で足を運んでいる。

帰国後も頻繁に取材のため、海外に飛んだ。取材は99パーセント英語で行う。この経験をもとに、本書では一見難しそうな英語での雑談やユーモアで、相手をリラックスさせるコツや、初めての人にアポを入れるときどういうアプローチがいいか、さらに人脈を作り、維持する方法、日ごろどういうインプットをしているか、話題にしてはいけないタブー、アポを入れたあとどういう準備をするか、相手を怒らせないようにするにはどうしたらいいか、相手に強い印象を残してまた会いたいと思ってもらうにはどうしたらいいかなど、40年以上実際の取材で使ってきた英語も披露しながら、かなり具体的に書いていきたい。

後述するが、日本人の英語はぶっきらぼうで、“decorum”に欠けると思われている。

“decorum”というのは<立場と場面をわきまえた礼節・品位>という意味であるが、人格的・社会的評価として大人としての振る舞い、社会的常識をわきまえた言葉遣いということである。

TOEICが満点でも、「しゃべれない」というのは、「相手に対して失礼のない英語で話せない」、ということである。意味が通じればいいではないかと思う方もおられるだろう。しかし、英語のネイティブはそこまで寛容ではないことが多い。文法は理解していても、英語圏の文化に精通していないと、相手を怒らせてしまう。

本書のタイトルを「懐に入る英語」としたのは、ビジネスでもプライベートでも、相手と親密な関係を築くための英語を伝えたいと思ったからだ。

それには英語の語彙や文法を習得する以外の努力も必要となる。自分の失敗談も含めて、そのことについても詳しく記したい。

それでは、「懐に入る英語」とはどんなものだろうか。ここでは簡潔に2つの例を紹介したい。

これまで数えきれないほど取材をしてきたが、中でもこの2つの事件は、世界中のメディアで私しか成功しなかったこともあり、当時のことが脳裏に焼き付いている。

1つは、1992年10月にルイジアナ州バトンルージュ市の郊外で起きた日本人留学生の射殺事件だ。射殺したロドニー・ピアーズが翌年の刑事裁判で無罪(not guilty)を言い渡されたあと、長時間独占インタビューをし、さらに無罪評決を出した陪審員の1人にも独占インタビューをした。

自国のメディアにも答えない人物がなぜ日本のジャーナリストである私の取材に応じたのか。その決め手は、当時拠点にしていたニューヨークから現地に飛び、ピアーズの家の前に止まっていたパトカーにいた警察に、私が“I’m dead sure that he will be found not guilty if he is prosecuted.”(起訴されれば、無罪になることは間違いない)と言ったことだった。

そのとき警察が言ったのは、「そう言ったのは、あなただけだ。他の日本人記者はみんな有罪にすべきだと言っていた」ということだった。

さらに「日本の記者は何もわかっていないが、あなたはよくわかっている」と言われ、私のことを信用できる記者として、ピアーズの父親に紹介してくれたのである。

ちなみに、私自身の考えとして、ピアーズに罪はないと言っているわけではない。アメリカ人ならそう考えるだろうと思って発言したのである。

州によって多少異なるが、ルイジアナ州には「他人が自分の住宅に不法・強制的に侵入したとき、合法的な居場所にいる者が致命力を使う(銃を使う)正当防衛が認められている法律 (キャッスル・ドクトリン+スタンド・ユア・グラウンド)」があること。

そしてピアーズには、接近してくる被害者が持っていたものが凶器に見えたので、致命力を使う正当防衛が認められるだろうとアメリカ人なら考えるだろう、と私は思った。その翌年、実際に無罪判決が出たあと、父親の家で本人に長時間インタビューすることができた。

「懐に入る英語」のために英文そのものよりも必要なのは?

もう1つは、1991年に起きたロドニー・キング事件である。

白人3人とヒスパニック系1人の警官が、黒人であるロドニー・キングを殴打したが、刑事裁判で無罪評決が出された直後、大規模なロス暴動が起きた。その裁判で陪審員を務めた2人(1人は有罪、もう1人は無罪に票を入れる)に独占インタビューしたが、説得するまでの苦労は今でも忘れられない。

彼らがインタビューを受けたのは、私が彼らの郵便けに入れた手紙にこう書いたからだ(余談だが、手紙を直接投函したのは、何度電話しても出なかったからだ。ときには相手に威圧感を与えない程度の「しつこさ」も必要となる)。

In Japan, there is no such thing as a jury system. So it is hard to believe that ordinary citizens judge people in criminal trials. So, I would very much like you to do an interview for the Japanese people.
(日本には陪審員制度というものがないので、一般市民が刑事裁判で人を裁くということが信じられない。だからぜひ日本人のために取材に応じてほしい)

今でこそ日本には裁判員制度があるが、当時はなかった。私は日米の文化の違いを説明して説得しようとした。承諾が出るまで4日間かかったが、最終的に彼らは日本人のために説明しなければならないという義務感を感じたのだと思う。

いずれも世界中のメディアでインタビューに成功したのは私だけである。

ロドニー・ピアーズへの独占インタビューは「週刊文春」(1993年6月17日号)に、ロドニー・キング事件の2人の陪審員への独占インタビューも「週刊文春」(1992年5月28日号)に掲載された。

当時、ピアーズも陪審員もインタビューに応じたのは私だけだと言っていた。このように、「懐に入る英語」には、英文そのものよりも、文化的背景や自国との違いも含めて相手に対する深い理解が必要となる。

40年にわたり国際ジャーナリストとして活躍する著者・大野和基氏(写真/著者提供)
40年にわたり国際ジャーナリストとして活躍する著者・大野和基氏(写真/著者提供)
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