学級の子どもたち、一人ひとり違っていい—
彼はもらった手紙をずっと大事に持っていたり、時には黒板に張り出したりして喜んでいました。ほめられるといった経験があまりなかったのだと思います。そこから「自分が教室に存在してもいいんだ」「教室内で自分が認められているんだ」という意識がちょっと出てきて、変わっていった感じはあります。
2年間担任して、じつのところ彼が毎時間ずっと授業に参加するという状況にはなりませんでした。それでも、話し合いの授業には参加するようになりましたし、他の先生が教科を教えるような時間でも普通に自分から参加するようになりました。
なかでも「海の命」という国語科の物語教材のディベートでは、主人公の気持ちが大きく変わったところはどこかについての議論に自分から参加して、意見を言ったりもしていました。ほめ言葉のシャワーにも積極的に参加して、クラスメイトをほめるようになったのです。
学級の子どもたち、一人ひとり違っていい—。私にとって菊池先生の教えが大いに力になった事例なのです。
「朝日新聞」は「暴れる子ども苦悩する現場」という記事を掲載しました(2025年4月7日朝刊)。文部科学省の「2023年度調査の子どもの学校での暴力行為が約7万件」という発表を受けての記事でした。
そこでは、関西地方の小学校の校長先生への取材内容が記されていました。子どもから先生への暴力ではなく、子どもが暴れる様子でしたが、「ここ数年でも、4年生の男児が友人に腹を立てて教室の窓ガラスを、別の児童がガラス戸を割った」という内容です。
その校長先生は言います。
「(子どもたちは)気持ちを言葉でうまく伝えられない傾向があるのでは」
さらに記事は、校長先生が考えるところをこう続けています。
「最近の授業を見て感じることがある。児童に対話させようとすると『どう話せばいいか分かってない』と感じる。タブレット端末を持つ子どもたちは授業中、端末の画面を見つめ、意見を打ち込む。教員も画面を見つめることが増えた。児童同士の会話や、教員の働きかけが減った、と思うという」
この学校でも、窓ガラスを割った男児の言葉にできない思いを代弁するよう先生から声かけした結果、「暴力はなくなった」としています。やはりコミュニケーションは必要なのです。
文/菊池省三 写真/PhotoAC













