「ブンブン丸」が見せる、心中覚悟の辛抱
胸をすくような「ホームラン」という華々しい結果の裏には、ときとして「三振」という痛みが伴うこともある。その表裏一体の心理を、池山ほど熟知している者はいない。
二軍監督として若手と向き合ってきた6年間で、彼は「選手はそう簡単に打てるものではない」という現実を嫌というほど突きつけられてきた。一軍は結果がすべてを支配する舞台である。それでも池山は、「我慢」「辛抱」をあえて口にした。
「我慢するのは当然ですね。もうそういう辛抱というのは二軍でもしてきましたし、そう簡単に打てるものじゃないっていうのもわかっているんです。一軍となれば、やはり数字がすべての舞台なので、しっかりと結果は求めたい。
だけど、そこには我慢や辛抱が必要になってくる。一人でも多く、チームの雰囲気を変えることができる選手が出てきてくれることを願っています」
池山の脳裏にはやはり、かつての恩師・関根潤三の姿があった。若き日の池山が三振の山を築いても、関根は決してそれを咎めず、自由に振らせ続けた。
コーチの安藤が注意しようとするのを遮ってまで貫いたその指導は、決して無責任な放任ではなかった。それは、一人の才能を開花させるために監督が背負う痛みであり、覚悟の表明でもあった。
「関根監督がいたから、今の自分があるのは間違いないです。チームとして勝利を求めつつ、個人として若い選手を育てていくこと。監督となった以上、その両方を求めていくのは当然のことだけど、将来を担っていく選手に対しては、ある程度の辛抱が必要になる。もちろん、その覚悟は持っています」
池山は今、かつての自分と逆の立場に立ち、関根がまっとうしたその重みを噛み締めているはずだ。自身が「三振を恐れるな」という環境で育てられたという強烈な自負があるからこそ、岩田幸宏、赤羽由紘、伊藤琉偉、鈴木叶ら、次世代に対しても同じだけの忍耐を払う準備ができている。
「自分は本当にスワローズというチームに育てられたという思いがあります。あの頃の関根さんがそうだったように、当然若手を育てるのも自分の役割だと理解しています」
我慢、そして辛抱——。そんな指導スタイルこそ、昭和の「関根イズム」を踏襲した、令和の「池山イズム」なのである。













