リスクを冒して約3000人の将兵を救出した

特筆すべきはその圧倒的な献身と勇猛さである。被雷して沈みゆくイギリスの輸送船トランシルバニア号に肉薄し、自らも次弾の標的になるリスクを冒して約3000人の将兵を救出したエピソードは、瞬く間に地中海全域に響き渡った。

終戦までに日本海軍が護衛した艦船は計788隻、実に348回もの出撃を重ねた。そして、イギリス軍をはじめとする連合国の将兵「約70万人」を無事に輸送するという奇跡的な戦果を挙げたのである。いつしか彼らは、畏敬の念と深い感謝を込めて「地中海の守護神」と呼ばれるようになった。

しかし、その栄光の裏には悲痛な代償があった。1917年6月11日、クレタ島近海で駆逐艦「榊」が敵Uボートによる雷撃を受け大破。艦長の上原太一中佐以下、59名が凄惨な最期を遂げたのである。

地中海の波に消えた日本海軍の戦死者は70名を超えた。彼らの魂は現在も、バレッタの対岸にあるカルカーラ海軍墓地に静かに眠っている。

1921年の裕仁皇太子のマルタ寄港は、単なる欧州外遊の経由地としての訪問ではなかった。それは、祖国の要請に応えて遠い異国の海で散った勇敢な英霊たちを慰霊するための、極めて重要で崇高な巡礼の旅であったのだ。

遠く祖国から離れて眠る兵士たちの墓前に深く頭を垂れた

皇太子はカルカーラ海軍墓地に赴き、自らの足で歩き、遠く祖国から離れて眠る兵士たちの墓前に深く頭を垂れた。そして花輪を手向け、日英同盟における共同の犠牲に敬意を表した。

その姿に、マルタの人々、そしてイギリスの軍人たちは深い感動を覚えたという。カジノ・マルテーゼでの熱狂的な歓迎は、日英同盟の絆のみならず、70万人の命を救った「地中海の守護神」への心からの感謝の顕現であったのだ。

クラブのメンバーの一人は、第二次世界大戦の爆撃によって痛々しく傷ついた花瓶を愛おしむように見つめながら、こう静かに言葉を結んだ。

「マルタと日本は地理的には遠く離れています。しかし、我々が守り続けるこの宝物と、日本の皇太子の訪問の記憶は、二国間の比類なき絆を証明するユニークな歴史です。この壺に刻まれた傷跡は単なる破損ではありません。我々のクラブが悲惨な戦禍をどう乗り越えてきたかを示す、大切な歴史の層でもあるのです」