1921年4月、裕仁皇太子がマルタを訪問

この花瓶こそ、1921年4月、裕仁皇太子がマルタを訪れた際、カジノ・マルテーゼでの手厚い歓待に深く感動し、自身の乗艦からわざわざ下ろしてクラブへと即座に贈った御礼の品であった。残された記録によると、裕仁皇太子はカジノ・マルテーゼでの食事が特に美味しかったのだという。

1921年、マルタ島を訪問した裕仁皇太子から贈られた、貴重な赤色の七宝焼の花瓶
1921年、マルタ島を訪問した裕仁皇太子から贈られた、貴重な赤色の七宝焼の花瓶
すべての画像を見る

当時、日本の皇太子として史上初となる半年に及ぶ欧州大巡遊は、日本の国際外交における一大イベントであった。軍艦「香取」に乗船した皇太子がマルタのグランド・ハーバーに到着した際、その熱狂ぶりは凄まじかった。

沿道は華やかに装飾され、バレッタの広場では大規模な軍事パレードが開催された。港に停泊するイギリス艦隊は特別なイルミネーションで彩られ、ある軍艦は日本の皇室の象徴である菊の御紋を誇らしげに掲げたという。

さらには、日本の韓国併合に反対する勢力による暗殺計画の噂があったため、マルタ全土に厳戒態勢が敷かれるほどのただならぬ緊張感に包まれていた。

カジノ・マルテーゼで開催された公式晩餐会では、駐マルタ日本領事であり、直後に自治政府初の首相となるジョセフ・ハワードら地元の名士たちが総出で皇太子を手厚くもてなした。

現在もクラブの壁には、大理石に当時の公用語であったイタリア語で「日本の皇位継承者が、その偉大な国家の警戒心、強さ、思想の上に若さを輝かせていた」と讃える記念碑が残されている。

ある壮大な「血と汗の記憶」

しかし、なぜ遠く離れた地中海の島国で、日本の皇太子がこれほどの熱狂と最高級の国賓待遇を受けたのだろうか。それは単なる外交儀礼ではない。そこには、現代の日本人がすっかり忘れてしまった、ある壮大な「血と汗の記憶」が横たわっているのだ。

時計の針を1921年から数年前に戻そう。第一次世界大戦の最中である。当時、地中海はドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国のUボート(潜水艦)が暗躍する「死の海」と化していた。

無制限潜水艦作戦により、連合国側の輸送船は次々と海の藻屑となっていた。この絶望的な窮地に陥った同盟国イギリスの強い要請を受け、日本海軍は「第二特務艦隊」を編成し、遠い地中海のマルタ島へと派遣したのである。

駆逐艦「榊(さかき)」をはじめとする日本の小型駆逐艦群は、荒れ狂う波と、いつどこから放たれるか分からない魚雷の恐怖に晒されながら、不眠不休で連合国の艦船を護衛し続けた。