この真逆の評価は、メディアという存在の宿命
高市氏の外交を劣化の象徴として位置づけるため、肯定的な「愛嬌」ではなく、あえて「ごますり」という下品なイメージを持つ言葉を見出しに選んだのである。
メディア間の相互引用の使い方も興味深い。朝日新聞は記事の中でNYTが使った「charm」という言葉を「愛嬌」と正しく紹介しながらも、見出しには別の海外紙が使った「ごますり」という否定的な言葉を採用した。
海外メディアの言葉を借りながら、日本国内の政治闘争に使える「毒」へと変換する手法である。一方でNYTは、日本国内での批判などには耳を貸さず、あくまでトランプ批判という自国の文脈だけで外交的勝利として報じた。
この真逆の評価は、メディアという存在の宿命である。どちらの新聞も嘘はついておらず、実際に起きた事実の一部を正しく捉えている。
短期的にはトラブルを回避して無傷で切り抜けたという事実もあり、長期的には中東情勢への関与という重い宿題を背負わされたという事実もある。これらは両方とも存在する中間的な現実である。
しかし、どの事実を強調し、どの言葉を選ぶかで、出来事の印象はまったく違うものになる。NYTは「米大統領の性格が同盟を不安定にする」というグローバルな視点から前半の事実を抽出して成功譚に仕立てた。
朝日新聞は「日本首相の振る舞いが国益を損なう」という国内の視点から後半の事実を抽出して警告譚に仕立てた。すべては、読者が求めている思想や立場に合う物語を提供するためである。
評価の違いは、両メディアが敵視するものの違いにある。それぞれのメディアが立つ位置というレンズが、同じ出来事が放つ光を屈折させ、正反対の色に染め上げているのだ。
この構造を深く理解していれば、朝日新聞の報道の言葉尻に流されることなく、冷静な視点からニュースの背景と真実を見極めることができるだろう。
文/小倉健一 写真/shutterstock













