忙しすぎたブレイク時
――『涼宮ハルヒの憂鬱』の大ヒットで、世間のイメージでは“平野綾=ハルヒ”が完全に浸透したかと思います。そのことがキャリアにおいて足かせになったことは?
当時は何をやってもハルヒを求められたのはあったと思います。役をいただいて自分の中で役作りをしてアフレコに臨んでも、“ハルヒみたいに”とまでは言われないにしろ、明らかにハルヒを求めてるなと感じることは多かったです。
チャレンジしたい声のトーンや芝居の感情は却下されてしまっていたので、その時期はいろいろ悲しかった記憶があります。
――それもハルヒのキャラが強烈すぎたせいですね。
それでもまだ10代で声優歴も浅いのに、あれだけの大役をいただいて代表作にもなった。そんなことは役者としてなかなかないことだから、その葛藤には早めに抜け出せたかもしれないですね。
――“声優・平野綾”で知名度が飛躍的に上がってテレビ、とくにバラエティ番組にも多く出演しました。
今では当たり前ですけど、当時は声優がテレビに出るなんて珍しい時代。だから、バラエティに出ようものなら即叩かれて……(苦笑)。役作りよりもそっちの葛藤のほうが大きかったかもしれないです。
――今も昔もアニメ、声優ファンには、こだわりの強い人もいますからね。
ファンが嫌がるのと、バラエティだと面白おかしくいじられてしまうので、当時はアニメ業界としても声優をテレビに出すのは遠慮すべきという暗黙のルールがありました。
でも、私はそもそもがテレビ業界出身で事務所もそちらに強かったので、せっかくハルヒブームでいろいろ声をかけていただけるようになったんだから、積極的に表に出てアニメ、声優業界をもっと知ってもらおうということになったんです。
――それが炎上してしまった。
『涼宮ハルヒ~』を見て私を知ってくださった方も多いので、「こういうことを言ったらハルヒっぽくなるかな」と意図的に発言したこともありますし、事務所やテレビ側の演出で言うことが決められてることもありましたしね。
当時の所属事務所からは私自身のキャラクターだけじゃなく、髪型や着る服まで決められてましたから。
――そうだったんですか⁉
2006年頃は、「声優といえばこの髪型だろう」という事務所の意向で黒髪パッツンストレートでした(笑)。でも私、前髪につむじがあるからどうしても分かれちゃう。だからストレートパーマをかけて毎日すごく時間をかけてセットしてました。
――忙しいのに大変ですね……。
本当に目まぐるしいスケジュールでしたね。朝帰ってきて、そのまま次の現場へ行くみたいな。まったく寝られないような生活で大学を辞めざるを得なくなるし、体も壊してしまうしでこのままでは死んでしまうと思いました。働き方を変えるためにも、事務所を辞める話し合いを以前からしていたんです。
――でも売れっ子だから事務所としてもなかなか辞めさせたくはないかと思います。
だから茶髪にしました(笑)。
――グレた中学生みたいです(笑)。
前髪パッツンだったのに(笑)。
ネットでの反響もある程度、計算してやってるみたいなところはありました。
――扱いに困る印象を事務所に持たせておけば、辞めやすいと。
そうですね。そのタイミング(2011年)で『嵐が丘』の舞台のお話がきたんです。もともと舞台がやりたくてこの世界に入ったわけなので、「今なら挑戦できるかもしれない」と、ひとつの仕事に集中させてもらえる事務所に移籍したんです。














