「自分の声は変だと思ってた」
――『涼宮ハルヒの憂鬱』の影響で、平野さんのキャリアは声優からだと思っている方が多いと思うんですけど、じつは子役スタートなんですよね。
平野綾(以下、同) そうなんです。だから、再来年で芸歴30周年になるんです。
――なぜ芸能界に入ろうと?
小さい頃はコンプレックスの塊で、だからこそ華やかな世界に憧れたのかもしれませんが、自分以外の人間になれる役者、とくにミュージカル俳優という仕事を意識し始めて。
10歳で児童劇団に入りたいという話を両親にしたら「やるなら一生の仕事にできるように頑張りなさい」と言われ、子役として活動することになりました。
――ただ、当初は引っ込み思案でなかなか前に出られなかったとか。
本好きの陰キャだったから、本当に人前が苦手で……(苦笑)。
(2000年放送開始のテレビ東京系ゲーム情報番組)「マリオスクール」のレギュラーだったのですが、共演していた(渡辺)徹さんからも子役にしては大人しく芸能界に向いてないのではと心配して、いつも「大丈夫か?」と声をかけていたと後にうかがいました。
――声優デビューはその頃?
はい。2001年です。
その前年にドラマに出演した際、監督だった三池崇史さんが「声が面白いから声の仕事もやってみたら?」と言ってくださったのを当時のマネージャーが聞いていて、アニメオーディションを受けることになり、そのオーディションに受かって声優デビューすることになりました。
――それまで自分の声についてどう思ってたんですか?
変な声だと思ってました(笑)。小学生の頃から見た目の割に声が大人びてて、「そのギャップをなくさないと芝居のオファーはこないよ」と児童劇団の先生に言われたりと、役者としての弱点でありコンプレックスだったんです。
――それが声優だと強みになった。
そうですね。声優2作目の『キディ・グレイド』(2002年放送、フジテレビ系)では、見た目は10歳なのに何百年も生きているリュミエールという役を演じさせてもらって、声優はキャラクターとともに作りあげるので、年齢や見た目を意識せず、性別も人種も飛び越えてお芝居できる、すごく魅力的なお仕事だと感じました。














