萩原健一というカリスマの出現
メンバーは5人で、リーダーでリードギター、ヴォーカルの松崎由治、サイドギターとオルガンの田中俊夫、ベースの高久昇、ドラムスの大口広司、そして最後にメンバーに加わったヴォーカルとハーモニカの萩原健一。
グループサウンズのブームが巻き起こっていた1967年5月、スパイダースの田邊昭知が設立したスパイダクションと契約。そして、人気が沸騰していたタイガース(沢田研二が在籍)に対抗するバンドとして売り出された。
音楽雑誌にはこんな記事が掲載された。
カーナビーツ、ジャガーズに続いて、フィリップス・レコードが自信をもって世に贈る話題の超大型グループ、ザ・テンプターズのデビュー盤です。平均年令18才という若さとパンチに充ちたハンサム・ガイ揃いのフレッシュな5人組で、スパイダーズのリーダー、田辺昭知が経営するスパイダクションから今年の4月にデビュー、1ヶ月もたたないうちに東京中のジャズ喫茶の人気を独占、8月のウエスタン・カーニバルに異例の抜擢で初出演、ブル・コメやタイガーズに劣らない人気ぶりで見事新人賞を獲得、グループ・サウンズの第3勢力のホープとして斯界の注目の的となっています。
デビュー曲は作詞・作曲が松崎由治、ヴォーカルも作った本人によるもので、グループサウンズでは稀有な例だった。
短くてシンプルな歌詞に思いきり感情を込めて、時には涙を流しながら歌う松崎のヴォーカルは、日本人にしか作れないセンチメンタルなロックだった。
ただし、そのエッセンスが前面に打ち出されると、感情移入が強すぎて、自壊を促す危険性があった。
B面の『今日を生きよう』は1967年のサンレモ入賞曲で、グラス・ルーツが英米でヒットさせた曲だが、なかにし礼が日本語に訳詞した。それを松崎のギターによるテンプターズのサウンドに乗せて萩原健一が歌うと、得も言われぬ切迫感とリアリティが放たれて、両面ともにヒットした。
バンドのなかに個性的なシンガー・ソングライターがいて、魅力的なメイン・ヴォーカルもいるということで、テンプターズには大きく成長する可能性が十分にあった。
しかし、当初はギリギリに保たれていたバランスが、『忘れ得ぬ君 / 今日を生きよう』がヒットしたことから、タイガースの対抗馬としてことあるごとにライバル同士と、マスコミに過剰に祭り上げられることになった。
そして、プロの作家によって『エメラルドの伝説』が作られて大ヒットし、萩原健一がローリング・ストーンズのミック・ジャガーのようなカリスマ的な人気を得たことで、徐々にバンドとしては自壊へと向かった。
テンプターズ解散後の1971年、萩原健一と大口広司は、スパイダースの井上堯之、大野克夫、タイガースの沢田研二、岸部修三(のちの岸部一徳)らと、スーパーグループ「PYG」を結成。
その後、ショーケンこと萩原健一は、俳優やソロ活動と才能を開花させていった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP














