ミュージシャンとしてはヒットにめぐまれなかった内田裕也

内田裕也が1976年に出した初の単行本『俺はロッキンローラー』には、「カッコイイ兄ちゃん」になりたいという、子どものころの素朴な憧れが語られている。

大阪の堺市で裕福な家庭に育った子ども時代。しかし、家の経済状態が次第に悪化。豪華な邸宅から小さな2階建ての住宅に移り、まもなく長屋住まいになった。引っ越しと転校が続いて貧しくなる中で、中学に入って反抗期を迎えた。

「そのころだね、音楽に目覚めたのは。河内長野市のドブ板のある家で、ロックンロールを聴いてから、なにかッていうと、ホウキもってきちゃア、やってたね、ギターのつもりで。(中略) なぜか、ロックンロール聴くと、落ち着いたんだよねエ」

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ロックをやるためにと英語も一生懸命に覚えた。やがて少年から大人へ。ジャズ喫茶で唄ったり、司会をこなしたりしているうちに、全力投球のパフォーマンスが認められる。

華やかなロカビリーブームからエレキブームの時代。1963年3月に『ひとりぼっちのジョニー』でレコードデビュー。しかし、2年間で数枚のシングル盤を出すものの、いずれもヒットには結びつかなかった。まったくといっていいほど売れなかったのだ。