日本で2つの“初”を発表した、ザ・スパイダース

1965年に日本で最初のオリジナルのロック・ナンバーとなった『フリフリ』(作詞作曲/かまやつひろし)を発表したザ・スパイダースは、日本語のロックの原点と呼ぶべき存在だろう。

『フリフリ』が誕生したのは新メンバーとして加入した、かまやつひろしにリーダーの田邊昭知が「かまやつ、何かひとつオリジナルを作れ」と指示したからだった。

1965年5月10日に発売された『フリフリ』(クラウン)のジャケット写真。堺正章と井上順がモンキーダンスのポーズをとっているが、作詞作曲したかまやつは、撮影当日遅刻したため、ここには写っていないという
1965年5月10日に発売された『フリフリ』(クラウン)のジャケット写真。堺正章と井上順がモンキーダンスのポーズをとっているが、作詞作曲したかまやつは、撮影当日遅刻したため、ここには写っていないという
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それから約1年後の1966年の4月15日。日本のバンドとしては初の全曲オリジナル・ソングによるアルバム『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』が発表された。

ロックバンドのジャックスが1968年に作ったアルバム『ジャックスの世界』よりも2年、1970年に発表された、はっぴいえんどのデビュー・アルバム『はっぴいえんど』よりも4年も早い。

しかし当時は誰もそのことに関心を払わなかったし、シングル盤のヒットが出なかったのでさほど話題にもならなかった。

そのためレコード会社の意向で、ベテランのソングライター・浜口庫之助が書いた『夕陽が泣いている』を、スパイダースはシングルとして出すことになった。