もしも「三億円事件」の犯人が沢田研二だったら…

当時、テレビドラマのヒットメーカーとして知られていたTBSの演出家でプロデューサーの久世光彦は、グループ・サウンズのザ・タイガースからソロになって成功した沢田研二にすっかり惚れ込んでいた。

だからこそ時代の寵児として輝いている時に、それまでにないドラマを制作して、映像作品を後世に残そうとしたのである。

そこで飛ぶ鳥を落とす勢いがあった人気作詞家の阿久悠の力を借りて、バイセクシュアルな魅力を最大限に引き出すために、それまでにない挑戦的なドラマを企画した。

1975年末に時効を迎える「三億円事件」の犯人が、もしも沢田研二だったら? そんな発想から始まった『悪魔のようなあいつ』(1975年6月〜9月放映)である。

ここで阿久悠は初めて沢田研二のための最初の歌詞となった『時の過ぎゆくままに』を書くことが出来た。

1975年8月21日発売の『時の過ぎゆくままに』(ポリドール・レコード)のジャケット写真。沢田自身が主演を務めたドラマ『悪魔のようなあいつ』の挿入歌として使用され、大ヒットする
1975年8月21日発売の『時の過ぎゆくままに』(ポリドール・レコード)のジャケット写真。沢田自身が主演を務めたドラマ『悪魔のようなあいつ』の挿入歌として使用され、大ヒットする
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ホリプロダクションの堀威夫と組んでザ・スパイダースの番組を手掛けていた阿久悠は、作詞家になって成功してからも、渡辺プロ(当時、沢田研二が所属していたプロダクション)の仕事を依頼されることは滅多になかった。

なぜならば音楽業界的な見方としては、どうしてもアンチ渡辺プロのように見なされていたからだ。森進一や小柳ルミ子に頼まれて作品を提供したこともあったが、それは例外的なものだった。

そのことについては本人も気にしていたらしく、後にこのように述べていたことがある。

「こういうドラマ発でない限り、沢田研二との縁も考え難かったので、もしもこの機会を失していたら、その後の膨大なヒット曲も出なかったかもしれない。そう思うと得難いチャンスであった」
(阿久悠著「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう」新潮文庫)

一方の久世光彦は、『悪魔のようなあいつ』で経験したことをもとにして、テレビが始まって以来の画期的な音楽番組を企画する。