日本のバンドに訪れた2つの道
1967(昭和42)年から68年にかけて、グループ・サウンズ(GS)は日本中を巻き込む大きなブームを巻き起こし、最盛期には数百ともいわれるプロ、およびセミプロのバンドが全国各地で活動した。
それらのほとんどはベンチャーズが下地を作ったエレキブームから誕生し、ビートルズのブレイクで大きな刺激を受けて、ローリング・ストーンズやアニマルズなど、イギリスのバンドの影響下に入った。
ビートルズの来日公演をきっかけにして、1966年の夏にザ・ワイルド・ワンズが結成されて、秋に発売したデビュー曲の『想い出の渚』が大ヒットした。
彼らは4人のメンバー全員が歌って演奏し、レコードデビューの時にオリジナル曲にこだわったビートルズのようだった。
同時期には、最も早くからビートルズの音楽を目指し、コピーすることで実力を身につけながら、かまやつひろしのソングライティングでオリジナルの日本語ロックにも挑戦していたザ・スパイダースがいた。
商業的な成功を狙って、職業作家の浜口庫之助が書いた歌謡曲『夕陽が泣いている』をリリースした。
これが大ヒットしたことから、日本のバンドには2つの道が開ける。
一つは、ビートルズの歩んだ歴史や精神を受け継いで、ライヴで客に鍛えられながら成長して、クリエイティビティと実力を兼ね備えたグループになるか。
それとも、プロの作品を歌って商業的な成功を目指すのか。その二者択一だった。
とはいえ、バンドのメンバーに選択の余地は少なく、バンドを発掘して売り出すレコード会社やプロダクションが、圧倒的に強い主導権を握っていた。














