原発依存を強化するなど断じて許しがたい
敷地内には非常事態省によって建てられた特別施設があり、そこでは甲状腺がんを発症した患者に、半減期が8日間と短いヨード131を投与して、がん細胞を駆逐するラジオ・ヨード治療を行っている。
われわれは、外部に放射線が漏れないように、鉛の扉で隔離された病室に案内された。3度の食事は小さな窓から差し入れられ、排泄物は鉛でコーティングされた下水管を通して直接地下に貯蔵されてから処理される。
看護師も含めて立ち入りが禁止されているという、鉛の扉で閉ざされた高放射線量の病室前で、同行した医師が扉を開け中に入ってもいいという仕草をした。大丈夫なのかなと一瞬躊躇したが、ビデオカメラを担いだ神保哲生さんを先頭に室内に入った。その途端、線量計の警告音がけたたましく鳴り響き、扉の前まで来た一行は、慌てて引き下がった。
ところが、中村敦夫さんは室内に入ったまま、神保さんが室内の2人の若者にインタビューする様子にカメラを向けながら聞き入っている。ぼくもビデオカメラを向け、その様子をデジカメでも撮影した。
室内の若者はいずれも30代で、2011年甲状腺がんを発症し、肺にまで転移しているという。そのうちの1人は、事故の時は8歳で、キーウから10キロくらい北の町に住んでいたという。チョルノービリからは、100キロ以上離れたところだから、なぜ被曝したのか因果関係はわからないというが、事故現場を行き来する車両が頻繁に通っていたから、その影響なのではないかと推測される。
なるほど、そういうこともあるのかと、目に見えない放射線の怖さを改めて認識させられた。
神保さんが本人の許諾を得て、線量計を喉に近づけたら、奥の1人は33マイクロシーベルト。それに驚いて、手前の青年の喉で測ったら、なんと130.6マイクロシーベルトで、年間にしたら1000ミリシーベルトを超える。毒をもって毒を制するというのか、この治療に後遺症が残らないのか心配になった。
14時、事故後プリピャチ市から1万6000人が集団避難してきた、キーウのトロエシナ地区の団地内にある259番小学校を訪ねる。そこで、日本にも何回か来たことがある、避難児童たちを組織したチェルボナカリーナ音楽団の演奏を聞かせてもらう。少年少女たちの合唱を聞き、これまでの視察で心に溜まった鬱屈が、清められた小一時間であった。
21日夜、空港に向かい、ウイーン経由で全員無事に成田に到着した。
チョルノービリ事故から26年たった2012年でも、石棺の補修作業のために毎日3000人の人たちが動員され、廃炉にその後何十年かかるかわからない。いや何百年かもしれない。原発から生まれた核廃棄物に至っては、その処理に何万年何十万年かかるかもわからない。被曝した人たちの悲劇も何世代続くか全く予測がつかない。
福島第一原発の事故処理費用は23兆円。廃炉予算も事故後40年で8兆円だから年間2000億円。毎日約6億円近くつぎ込まれていながら、約880トンあると推定されるデブリもいまだに1ミリ弱しか採取できていない現状で、あと25年で廃炉などできるはずもない。
さらに膨大な費用をつぎ込むことが予想され、被曝被害の拡大も危惧されているにもかかわらず、原発依存を強化するなど断じて許しがたいと言わざるを得ない。
文/野上暁













