330人の子どもたちに正常者は1人もいなかった

東日本大震災の数か月後、日本ペンクラブは福島第一原発の事故現場への取材を申し込んだが許可が下りなかった。そのとき、環境委員長だった中村敦夫さんが、いま福島に行くよりも事故後四半世紀が過ぎたチョルノービリ(チェルノブイリ)の現状を知る方が、福島の今後がわかると提案して視察日程を組み、チョルノービリ視察団の参加希望者を募った。

そして、2012年4月17日、中村さんを団長格に、当時会長の浅田次郎さんや、理事の森絵都さん、ビデオジャーナリストの神保哲生さん他、総勢8名の視察団一行はキーウ(キエフ)のボリスポリ空港に到着した。空港には現地通訳の江川裕之さんが出迎えてくれた。

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翌18日、江川さんから、「チョルノービリの生存」事務局のナグレフスカ・リューダさんを紹介される。リューダさんの案内で、キーウ市内の放射線医学研究所に向かった。チュマーク副所長が、われわれの取材に応じる。

中村敦夫さんが、質問の口火を切った。2009年のウクライナ政府による公式発表では、被曝者数約320万人、そのうち継続的に保護観察を受けている人が230万人。甲状腺手術をした子どもが4400人と報告されているが、この数字に変化はあるのか?これに対して副所長は、当時子どもだった成年の手術者は2009年までに6029人に増加。320万人は被曝者ではなく被害者だと修正する。

中村理事はさらに、2005年のチョルノービリ・フォーラムではIAEA(国際原子力機関)発表による推定死亡者数を4000人と発表し国際的な反論を受けたが、2006年のWHO(世界保健機関)による修正では9000人とされた。

ウクライナの専門家はどう見ているか?また、1991年にウクライナがソ連から独立した時の人口が5200万人だったが、2010年には4500万人と20年間に700万人減っている。平均寿命も77歳から56歳と大幅に落ちた。

その原因をどう見るかと質問する。副所長は、56歳ではなく63歳だと修正したうえで、細かな数字については事故から25年過ぎた2011年に「国家報告書」をまとめ、インターネットでも英語で読めるからそれを参考にしてほしいと述べた。

さらに中村理事は、ウクライナでは年間5ミリシーベルトが強制避難区域に指定されているが、日本では20ミリシーベルト。これをどう思うかと聞くと、それは全く信じられない。医学的な見地からいえば一般人は年間1ミリシーベルトが許容範囲だと首をかしげる。

そのあと、ヴドヴェンコ主任研究員の話を聞く。胎内被曝した子どもたち1144人の調査をしたが、いずれもDNAに変化があったという。中でも、原発から3キロ離れたプリピャチ市の、330人の子どもたちに正常者は1人もいなかったと聞いて愕然とした。彼もまた詳細は「国家報告書」を見てほしいということで、突っ込んだ質問に対する答えは、なんとも歯切れが悪かった。