長屋は都市型共同体
青木 一方で性差に関して言えば、かつての農家はもっと封建的な雰囲気が強かったでしょう。身内の恥を晒すようですが、信州にある僕の母の実家も農家で、男女の役割分担というか区別はかなり強烈でした。何かの集まりがあって親戚などが集うと、女性たちは炊事場で食事の準備や片付けに追われていて、座敷でお膳を囲むのはほぼ男性だけ。
男の子だった僕もその片隅に座らされるのですが、酒を飲みながら小難しい話をしている場にいるのが苦痛で、時おり笑い声の漏れてくる炊事場の方が楽しそうに見えて仕方ありませんでした(笑)。
でも、そうした負の側面を克服し、互いに支え合う共同体を構築し直さなければいけないわけですね。そういえば田中さんのご出身は東京ですか。
田中 いえ、私は、横浜なんです。私の家は、農家じゃないけど、町の長屋です。だから、そういう古い共同体や人間関係の問題点もわかるし、良い点もわかるんです。
長屋って、年中、隣の声が聞こえてくるんですね。家は大体開けっ放し。親がいないときには、隣とか向かいのうちでご飯食べるのもよくあったし、親と同じような叱られ方もしていたし。ですから、そういう古きよき時代の人間関係というのは知っているんですよ。
青木 都市型の共同体という感じでしょうか。
田中 そういうことです。もう戦後でしたけれども、そういう長屋的共同体は、あちこちにありましたよね。同じように江戸時代でも、農村だけではなく、都市の中でもそういう人間関係があちこちにあったはずなんです。それも同時に失われていった。やっぱりお金になるにはどうしたらいいかという発想が先に来ると、そういうものがぶつぶつと切れてしまうんです。
青木 すべてをお金で解決できるなら、別に隣の家と付き合わなくても済ませられてしまいますからね。
田中 そう。必要なら人を雇えばいい、あるいは買ってくればいいって。
青木 僕の幼少期の田舎もそうでしたが、夜にやっている店などありませんから、醬油がなければ隣の家に行って「ごめん、ちょっと貸して」と頼むしかなかった。でも今なら深夜も煌々と光を照らすコンビニが全国どこにでもあるから、そこで買ってくればいい。便利と言えば便利だけれど、いざという時に脆弱な貨幣経済に依存して、厄介な面もあるけれど大切な共同体やコミュニティを自ら崩壊させていったともいえるわけですね。
多様な共同体から文化が生まれる
田中 そう思います。すると、何が起きるのか。いろんな意味で人間関係を知らない人たちが出てくるわけで、文芸の世界も何の世界も変わってきちゃうんです。私がやっている江戸時代の文学は、人間関係の中でなければ絶対これは成立しなかっただろうというものがほとんどです。今は小説を書くのは独りで閉じ籠もって書くでしょう。
俳句や短歌も独りでやるものになっている。でもね、俳句も和歌も川柳も、江戸時代はみんなでやるものだったんです。つまり、多様な共同体が文化を作っていた。そういう感覚の違いは、かなり大きく変わってしまったなと思いますね。
青木 なるほど。今作を書くにあたって僕はあまり自覚的ではありませんでしたが、昔ながらの自給自足的な暮らしが残っていた村の物語を描くことで、結果として地域共同体やコミュニティの大切さもメッセージとして発信できたのかもしれません。ならば僕のようにメディアやジャーナリズムの生業に関わる者も、さらに多面的な形でその重要性を伝えつづけていくことが重要になりますね。
田中 そうですね。私が今考えているのは、学校とは全然違う仕組みを持っているコミュニティ的な学び方です。もう学校教育そのものがお金の世界になって、受験勉強はまさにその最たるものですけど、私は、私塾という共同体的な学びの在り方にすごく関心を持っているんですね。
実際に今、私は松岡正剛さんがつくった私塾の学長をしていますが、そこで分かるのは、誰かのもとに集まって、人間関係の中で学習していく楽しさです。誰かに一方的に教えてもらうのではなく、相互に支えあいながら学ぶというスタイル。だから教師と学生という関係とも全然違うんです。そういう関係の中で、共同体的な感覚というのは育つんだろうなと思いますね。
青木 面白いな。いろいろ気づかされて刺激になります。優子さん、今日は本当にありがとうございました。
構成/宮内千和子 撮影/三好祐司














