コモンズに共感するフェミニストたち
青木 それぞれが巨大企業によって踏みにじられてしまった水俣にも谷中にも、そして福島の飯舘村などにも、豊かな自給自足の暮らしや共同体があったという話をしてきました。でもそれらは、主に大都市圏に暮らす者たちの繁栄や利便性の代償として、あるいはそのツケを押しつけられる形で無惨に破壊されてきてしまった。そういうことを幾度も繰り返してきてしまった。
僕もまたそれを押しつけた側にいるわけですが、福島に関していえば、あの凄惨な原発事故からわずか15年しか経っていないというのに、その記憶さえ薄れつつあるように見えます。しかし、このままでいいはずはありません。同じことをまた繰り返していいはずはない。そして人間の日々の営みのなかで本当に必要なもの、あるいは本来守るべきものを守り、取り戻せるものは取り戻していく必要があると思いますが、いかがですか。
田中 私、最近、山本眞人(ヤマモト マヒト)さんという方の『生産と消費からケアと自由への転換』(BMFT出版部)という本の帯を頼まれたんですが、そこに結構興味深いことが書かれていまして。マルクス主義は、資本主義が限度にまで行けば共産主義になると言うが、いやならないと。
それはなぜか。資本主義では、資本の蓄積が繰り返し起こるからだという。確かに見ているとそうで、何かが破綻すると、また、別の資本を蓄積していく層の人たちが出てくる。それが繰り返し起こるから、自然に共産主義に移行するなんてことはあり得ないと。そこで必要になってくるのは、コモンズという考え方なんじゃないかというんですね。
青木 コモンズといえば、経済思想家の斎藤幸平さんらが盛んに提示していますね。彼の『人新世の「資本論」』(集英社新書)もベストセラーとなって話題になりましたが、たとえば地球温暖化による気候変動などに対処するためには、資本主義の際限なき利潤追求に歯止めをかける必要があると訴えている。
田中 ええ。フェミニストたちが結構このコモンズという考え方に共感しながら物を書き始めているんです。フェミニズムは、ただの女性解放運動じゃなくて、自分たちがこんなに生きにくい理由は、やはり資本主義の中での競争にあるんじゃないかと。単に我々は生産と消費をしているだけじゃなく、競争しながら生産と消費をするから、そこに諍いや戦争も起こる。この構造そのものを問い直さなきゃ駄目なんだということが、コモンズの理論から出てきたり、フェミニズムの理論から出てきたりしているんですね。
山本眞人さんの本で面白かったのは、歴史を振り返ると、奴隷制の反対運動とか、1600年代にも似たような運動や革命が起こっていたということ。横暴な権力によってコモンズの崩壊に直面しながら、小さい単位でもいいから自分たちのコミュニティを取り戻そうとする動きが、17世紀ぐらいから出てきているという話は面白かった。だから、これからどうするかという話だけでなく、過去に繰り返し行われてきた運動やそこで踏ん張った人たちのことも、私たちは見ていかなきゃならないと思っています。
青木 その点で言うと、これは斎藤さんと語り合ったこともあるのですが、ノーベル経済学賞に最も近いと言われた故・宇沢弘文(1928~2014)の『社会的共通資本』(岩波新書、2000年)を僕はあらためて想起します。経済学者であり、行動する社会思想家でもあった宇沢さんとも僕は幾度かお目にかかりましたが、彼の訴えた「社会的共通資本」も明らかにコモンズと重なっている。
田中 そうですね。宇沢さんも資本主義の過当競争を批判して、コモンズの重要さを説いた人ですね。
青木 あらためて振り返ってみると、宇沢さんは「社会的共通資本」をこう定義しています。「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」だと。
その具体的な対象はかなり広くて、環境や大気、森林、河川、水といった自然環境、道路や鉄道といった交通機関、上下水道、電力、ガスなどの社会インフラ、そして教育、医療といった制度資本などが該当すると宇沢さんは指摘し、次のように記しました。
「社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない」と。つまり、こうした社会的共通資本は共同体の共有財産であり、市場経済に委ねて競争の道具にしてはならないのだ、という指摘です。
田中 どの時代にも人間にとって大切なものを守ろうと、意志的に立ち上がる人がいるんですよね。
青木 しかし今、あらゆるものが新自由主義的な市場経済に委ねられつつあります。また、これは日本に限らず世界的現象でもある。これらを全部が全部、以前のような形に巻き戻すことができなくても、共同体のなかできちんと共有物として守っていく、あるいは取り戻していくことが重要になります。市場経済に委ねたままにしておけば、すべてが貨幣価値に置き換えられて競争の対象になってしまいますから。














