芸歴50年の元女優と元学生タレント、出会いは子どもの保育園
ミュンさんとヤヨさんは同学年で、ともに64歳。今月にはミュンさんが、来年3月にはヤヨさんが誕生日を迎え、揃って“前期高齢者”となる。結成は2012年、出会いは20世紀最後の年だった。
「2000年に子どもの通う保育園で出会いました。家は離れているし、子どもの学年が違ってあまり遊んだことはなかったので、保護者会のママ友という感じでしたね」(ミュン)
「ミュンちゃんは福岡出身なんですが、私は東京出身で地方出身の人と親しくなる機会がなかったから、いろいろと新鮮で。年も同じだし、おたがい離婚しているしで意気投合しました。ただ、最初の印象はお互いに『むむっ』って感じだったと思います(笑)。
ミュンちゃんは結構、保護者会でもハッキリもの言うタイプで、何だか普通のママっぽくなかったんですよ。それで話を聞いてみたら、過去に女優とかをやっていたことが分かったんです」(ヤヨ)
ミュンさんの芸歴は、実に半世紀以上にわたる。いっぽうのヤヨさんも、トークバラエティ番組のアシスタントを務めていた経歴を持つ。
「私、歌手になりたくて小学4年の頃から活動しているんです。スクールメイツ(※昭和の歌番組などで定番だったバックダンサーグループ)にも入っていて、『レッツゴーヤング』とか『8時だョ!全員集合』にも出ました。
高2のときには、偶然来た東京で作曲家の平尾昌晃先生にスカウトされ、翌年に高校を中退して上京して。東京ならオーディションとか、いろんなチャンスがあると思ったんですけど……歌が下手だったので芝居のほうへ。『遠山の金さん』で女優デビューして、主演の杉良太郎さんから立石美由紀という芸名ももらいました。その後もライブハウスで歌ったり、FM ラジオのパーソナリティをやって、芸能活動自体は途切れることなく続けていますね」(ミュン)
「私も小学生のころに麻丘めぐみさんが大好きで、歌の道には進まなかったけど、大学生のときにはアナウンススクールに通っていました。学生タレントみたいな感じで、TBSの『シャボン玉こんにちは』のアシスタントとかもやっていたんですが、オーディションに受からなくて事務所には所属できず、大学卒業と同時に就職しました」(ヤヨ)
それから時は経ち、母になったふたりは、ご近所さんと組んだオヤジバンドに参加する。当時、ミュンさんはまだ歌への未練があり、「離婚したし、もう縛られるものはない」とヤヨさんとのデュオ結成を決意した。













