「40年もよくやってこられたなって」
「40年もよくやってこられたなって思います。まじめなトーンになっちゃいますけど(笑)」
これは、「40周年を迎えた今の気持ちは?」との質問に対する答えだ。
1985年におニャン子クラブのメンバーとして華々しくデビューし、翌年にはソロデビューシングル「バレンタイン・キッス」も大ヒット。
その後もドラマ、映画、バラエティ番組と順調に出演を重ねてきた国生だけに、この答えは意外とも思えるものだった。
ジャンルにとらわれず意欲的に芸能活動をしてきた国生。そんな彼女はデビュー当初「スタッフのみなさんに守られていた」と振り返る。
国生の芸能界入りのきっかけは、高校在学中に友人の勧めで一緒に応募した「第3回ミス・セブンティーンコンテスト」(1984年開催)。
当時、広島県に住んでいた彼女は、中国地区の代表として全国大会に出場した。
コンテストには入賞しなかったが、当時行なわれていたテレビ番組『第14回レコード10社対抗 ’85新春オールスター大運動会』(TBS系)に、旧CBS・ソニーの運動会要員として参加することになった。
「中学校から陸上をしていたので、コンテストの応募書類に『県大会出場』に『100mは〇秒』といったことを書いていたんです。
当時のCBS・ソニーはレコード会社のなかでは歴史が浅いほうだったので、ゼッケンにCBSソニーとつけた子が先頭を走れば、宣伝になると考えたらしいです(笑)。
そのとき、たまたま私を担当してくださった方が、『夕やけニャンニャン』のスタッフさんと知り合いで、紹介してくださったんです。なので、陸上部じゃなかったら芸能界に入ってないんですよね」
おニャン子クラブ誕生のきっかけとなる伝説のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)では、国生は番組開始当初のスターティング・メンバーとして参加。当初は、芸能界にいるという感覚がなかったという。
「毎日楽しかったですね、深くも考えてなくて(笑)。私、ずっとスポーツして、朝練・夕練という日々だったので、山口百恵さんが出ていたドラマ『赤いシリーズ』(TBS系)以外はテレビを見ていなかったんですよ。
だから撮影スタジオにいても、テレビに出るっていうことがどういうことなのか、あんまりピンときてなくて。
『夕やけニャンニャン』の何が面白かったかっていうと、とにかく激流のようにコーナーが繋がっていくところ。私はそれ見て、素直に反応してるだけでした」
だが、他のメンバーがソロデビューをしていくなかで、徐々に意識は高まった。
「おニャン子クラブのデビュー曲『セーラー服を脱がさないで』がヒットして、メインの4人がイベントをやろうとしても人が集まりすぎて、イベントが開けないといった状況になったんですよ。その辺から劇的に芸能界というものが分かるようになっていくんです。
そして、どんどん競争心だけが目覚めて。『番組内で自分がメインのコーナーが欲しい』だとか、みんなソロデビューし始めたので、『自分もソロデビューしたいな』だとか。
その頃は、ソロデビューした人たちをがむしゃらに見ていました。デビューできる・できない、メインの位置に立つのと後列に立つの違いはなんなんだろうって。なにかを得たかったし、学びたかったんだと思います」