古くからの価値観が、現代社会をアップデートする?
森 塚原さんはご著書で、欧米型資本主義の目線から日本文化を見たときの価値観にもふれていましたね。私もそれを探りたいと思っています。日本文化を海外に紹介することをミッションに掲げる企業は、喜ばしいことにたくさんあります。でもひとことで「海外」といっても本当に様々で、各地で何をどう伝えていくのかが問われるでしょう。
tefutefuでは今年(2025年)5月に、私の母の出身地でもあるロサンゼルスで、日本の伝統工芸のもつ芸術性や精神性を紹介する展示を行いました。私たちがキュレーションを行い、伝統工芸の職人兼作家の方々の作品をご紹介しました。これは私たちにとっても挑戦となる試みでした。
テーマは「色寂 irosabi」とし、まさに経年による美しさに焦点をあてました。日本では日常的に「これ、わびさびっぽいね」と言うこともありますが、日が昇っては沈むように、誰もがいつかは白髪になってしわが増え、大切な人が世を去るような出来事も体験するでしょう。それは皆が通る道ですが、そうした営みを経たからこその美を宿した方々もいる。
そこで「時間」という要素に光を当て、それらを目に見える美しい「色」で感じ取ってもらうことを試みました。こうした「色」をすでに人生で身近に感じている人もいれば、受け継ぎたいスピリットのようなものと感じる世代もいる。それが職人さんたちの手しごとを通じて視覚的な共通言語になると、アメリカの人々でも、工芸と向き合うときの見る目がすごく変わるのですよね。
ロサンゼルスは、心身の「健康」の価値を重視するウェルネス志向が強い都市です。それはこれまで主に「若く・美しく・上昇していくこと」を目指してきたと思うけれど、視点を変えれば、東洋的な「縁」をめぐる考え方も含め、流れを受け入れながら持続していくという美意識もある。ここに日本文化や東洋思想が改めて注目されうる部分もあると思っています。
別の視点から見れば、それはあらゆる情報が日常に溢れ、表面的なわかりやすさしか受け入れるキャパがなくなりがちで、何を信じたらよいのかを誰もが模索している時代だからでもあるように感じます。そうした中で色寂の美学を掲げてアメリカで発信した際「これって人間の共通言語にもなり得るな」と感じて。ただ同時に、その伝え方は文化圏によって工夫しなくてはとも実感し、すごく学びの多い経験でした。
塚原 「色寂」は、その後に銀座の和光での展示を拝見しました。参加した職人さんたちの中に僕たちもお世話になっている方々がいて、例えば伊達冠石(だてかんむりいし)の大蔵山スタジオにはよく伺っています。個々の作品の魅力が、現代美術作家の杉本博司さんと建築家の榊田倫之さんによる「新素材研究所」が手がけた空間ともあいまって、とても美しい展示でしたね。
海外でのお話はまさにおっしゃるとおりで、加えて言えば、日本の伝統工芸を海外に紹介するとき、それはアート(美術)なのかクラフト(工芸)なのか、あるいはデザイン(意匠)なのかという議論になりがちですよね。職人さんからすると、クラフトに分類されると手作りの手芸品的なイメージもあり、かといってアートとなると、自分たちはあくまで職人ですという人も多い。ですから僕は、工芸は工芸として掲げたいなと思っているのです。
日本料理でも「うま味」は「umami」として通じるように、工芸は「kogei」として広がっていってもよいのではないか。なぜなら工芸の本質はオブジェクトでも技術でもなく、精神性だと思うからです。いま僕の目標のひとつは、Kogeiを世界語にすることです。
森 それ、良いかもしれませんね。「民藝」もそういうところがあると思いますが、私の心にも響きました。というのも私としては、かつては各地で地域の行事がものづくりを支えてきたはずで、それらの行事もまた、祈りや感謝の思いなど「生きるための信じ事」、つまり精神性の部分から生まれたのだろうと考えているからです。
一方で、ものづくりを支えてきた行事が時代と共に変わり、あるいはなくなっていく中で、工芸をアートに昇華するような試みを始めた人たちもいます。特に私と近い世代には、職人として腕を磨きながら、作家としての活動もクロスオーバーしている人たちがいます。和光でも展示してくださった名尾和紙(佐賀市の名尾地区で300年以上の歴史を持つ和紙)を受け継ぐ谷口弦さんは、障子などに用いられる薄いすき和紙の技法はしっかり継承した上で、素材となる梶の木の特性を生かして、風と光の具合である程度自然に任せたパターンをつくるなどし、従来とは異なる表情の和紙も生み出しています。
また、輪島出身の漆芸家・桐本滉平さんも、木材を使わず型を作る技法「脱活乾漆」によるユニークな創作を続けています。どの作家さんも、ご自身の中で、あるいは他者によってどう位置づけられるかということは様々かと思いますが、私からみて工芸を考える上で一番大事なのは、その場所の風土をわかっていらして、その風土と共に生きているということです。その意味では、皆さんアーティストだなとも思うのです。そうしたこともあり、私は工芸をアートとしてとらえることで、日本のハイコンテクストな美学が伝わるのではないかとも思っています。
一方で塚原さんがおっしゃるように、そもそも工芸の土台や本質が、私たちが生きる上での栄養分であるなら、工芸という営みをそのまま世界に知ってもらうというアプローチも、確かにあり得るだろうなと思いました。その考え方は新鮮に感じます。
構成/内田伸一















