日本の伝統工芸に秘められた「暮らしの美学」

塚原 工芸を世界に紹介する際に、アートかクラフトかといった既存のカテゴリではなく、工芸そのもの=kogeiとして広まってほしい、というお話をしました。僕はアートを大きな意味でとらえるなら、工芸もそこに含まれるのかなと思います。ただ現代のアートシーンにおいては、やはり個々の作家のコンセプトという主張がとても大事になる気がします。世界で活躍されている村上隆さんが「スーパーフラット」をコンセプトに掲げたように、アーティストの方々はそうしたことを含めた表現力が素晴らしいと思うのですね。

一方で、工芸職人さんの凄さというのは、何かそっちではないような気もしています。むしろ自分の「我」をどれだけ消していけるか、またそれによって自然素材のよさをどれだけ引き出せるかを重視している人が多い。日々同じ作業を反復することも、そこにつながるように思います。そうして素材や自然と対話しながらつくるプロセスそのものが、すごく工芸的なのだなと。

そう考えたとき——あくまで僕の感じ方なのですが——やはりつくり手がハイコンテクストなコンセプトでものづくりにあたるのは、工芸からすると何か不自然な感じもするのですね。だからこそ我々のような第三者が、自然と対話しながら造形していくものづくりの在りようそのものが「工芸というコンセプト」なのだろうと言うことには意味があるかなと考えています。それは大きな意味でのアートシーンにも新たな価値観を提示し得るだろうし、ものをつくれない我々のような側が提示するからこそ、意義があることではと思っています。

 その意味では私も、日本の衣・食・住にまつわる文化や美学を国内外に発信するために古民家を再生していく上で、自分自身の生き方や使うモノ、さらに素材をどう生かせるかを読み取る力などもひっくるめて考えたいですね。暮らしの道具になったものを身に着けて・聞いて・触ってみたときに、心の中の幸福度がどう動いていくかという実験箱であり、それを訪れた人たちにも美しいと思ってもらえたらもちろん嬉しいですが、まずは自分の気づきを率直に発信できたらなと思っています。

例えば「不便だけど良かったな」という、不便の中の豊かさというのもありますよね。キャンプの楽しさも自然の満喫だけではなく、どこか不便の中の幸福、一服の心地良さみたいな何かを求める部分もあると思うのです。工芸もそうした自然との向き合い方を含めた営みを通じて、私たちが生きる上での道しるべになるのでは、と思うのです。

ファッション誌『フィガロ』が大切にしている言葉に「アート・ドゥ・ヴィーヴル」(Art de Vivre:暮らしの美学)があります。暮らしにアートを取り入れるということだけでなく、生き方自体が芸術だという考え方で、つまり「どう生きるか」ということでしょうね。そこにこだわらなくても生きてはいけるけれど、例えばファッションの世界で想像力を最大限にして何かを生み出そうというとき、その人が「生きる」ことにどれだけこだわっているかも関わると思います。デザイナーはもちろんのこと、モデルもいまは衣装をまとうだけでなく、自分の生き方をどう体現するかが必要になってきていると感じます。

そして私は、和の「アート・ドゥ・ヴィーヴル」が工芸には秘められていると思うのですよね。私自身それを「モデル」として体現していきたいですし、そのためには実際に体験しないと気づけないこともたくさんあるでしょう。そうした思いもいまの活動につながっています。

森星さん(左)、塚原龍雲さん 撮影:三好祐司(右)
森星さん(左)、塚原龍雲さん 撮影:三好祐司(右)
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