わずか33試合で休養、発表された理由はまさかの…

藤村富美男ら猛虎たちが棲む檻の中に放り込まれた岸老人は、選手からは猛反発をくらい、新聞社による離間の計略にはまり、最後にはベンチで孤立して、わずか33試合で休養を宣告される。発表された理由は“痔ろうの悪化”。冗談のような屈辱的理由だった。

監督と選手の確執でタイガースは大混乱に。これが今に続く「お家騒動体質」の発火点とされる(写真/遺族提供)
監督と選手の確執でタイガースは大混乱に。これが今に続く「お家騒動体質」の発火点とされる(写真/遺族提供)

オーナーの独断で監督に抜擢されたこの岸一郎の騒動が引き金となり、翌1956年にはタイガース史上最大の事件ともいわれる藤村排斥事件が起こるなど、タイガースは以後、「お家騒動」という負の伝統を抱えたまま、数十年を歩むことになる。

しかし、それと同時に「勝てばいいだけのチームとは違う」という誇りを胸に、どれだけ勝てなくてもファンは見捨てず、ひどい罵声を浴びながらも愛され続けるチームを受け継いできた。

そんなチームを率いる監督の難易度は、日本プロ野球でも最難関だ。

甲子園は今日も5万満員。これに関西メディアも併せて大きすぎる期待と鋭すぎる批評精神に晒される。組織と派閥のゴタゴタに巻き込まれ、OBの口出しに気を遣い、負ければ“叩いてもいいもの”として衆前に捧げられる。

百戦錬磨の名将、岡田彰布がグラウンドを去り、藤川球児新監督が就任したとき、多くのファンが心のどこかで思ったはずだ。

 「藤川もまた、虎に食われてしまうのではないか」

だが、藤川は違った。藤川球児という投手がマウンドでそうだったように、恐れず、逃げず、タイガースの宿命を正面から受け止めると、「虎道を進め」というスローガンのごとく90年の歴史に風穴を開けた。

書籍『虎の血』のラストシーンは、甲子園歴史館で川藤幸三OB会長に藤川球児が岸一郎監督を含むタイガースの歴史を質問する姿で終わっている。
 
「このタイガースの歴史を若い人はもっと知らなきゃいけませんよ」

当時の藤川本人がそう訴えたように、今シーズンの藤川監督の組織マネジメント、その発言、采配、メディア対策などを振り返れば、彼自身がタイガースの栄光と挫折の歴史を深く学び、先人たちの失敗からこの特異な球団の本質を分析してきたことがよくわかる。

これからはじまるCS、日本シリーズという頂上決戦。ぶっちぎりの優勝を果たしながらも「面白いじゃないですか。ファンの方が一番喜べる機会をつくり出すのがめちゃくちゃ大事」とCS見直しの風潮を一蹴し、正々堂々と虎道を進まんとする指揮官、藤川球児監督は、この先のタイガースにどんな未来を描くのか。

文/村瀬秀信

虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督
村瀬秀信
虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督
2024/2/5
1,980円(税込)
320ページ
ISBN: 978-4087901498

2023年に18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一を果たし、沸き立つ阪神タイガース。
そのタイガースの歴史上、「最大のミステリー」とされる人物がいる。

第8代監督・岸一郎。

1955 (昭和30) 年シーズン、プロ野球経験ゼロの還暦を過ぎたおじいさんが、突然、タイガースの一軍監督に大抜擢されてしまったのだ。

「なんでやねん?」 「じいさん、あんた誰やねん?」
困惑するファンを尻目に、ニコニコ顔で就任会見に臨んだ岸一郎。
一説には、「私をタイガースの監督に使ってみませんか」と、手紙で独自のチーム改革案をオーナーに売り込んだともいわれる。

そんな老人監督を待ち構えていたのは、迷走しがちなフロント陣と、ミスタータイガース・藤村富美男に代表される歴戦の猛虎たち。
メンツを潰された球団のレジェンド、前監督の松木謙治郎も怒りを隠さない。
不穏な空気がチームに充満するなかで始まったペナントレース。
素人のふるう采配と身勝手に振る舞う選手たちは互いに相容れず、開幕後、あっという間にタイガースは大混乱に陥っていく……。

ファンでも知る人は少なく、球史でも触れられることのないこの出来事が単なる“昭和の珍事”では終わらず、
タイガースの悪しき伝統である“お家騒動体質”が始まったきっかけとされるのは、なぜなのか?
そもそも岸一郎とは何者で、どこから現れ、どこへ消えていったのか?

満洲─大阪─敦賀。ゆかりの地に残された、わずかな痕跡。
吉田義男、小山正明、広岡達朗ら当時を知る野球人たちの貴重な証言。
没年すら不詳という老人監督のルーツを辿り、行方を追うことで、日本野球の近代史と愛憎渦巻く阪神タイガースの特異な本質に迫る!

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