虎で“1年を戦い切れなかった”幻の監督

ちなみに、タイガース歴代監督の就任1年目の成績は以下の通り。

■2位 松木謙治郎(1940)、田中義男(1958)、後藤次男(1969)、村山実(1970)
■3位 若林忠志(1942)、藤村富美男(1946)、金田正泰(1960)、杉下茂(1966)、吉田義男(1975)、安藤統男(1982)、矢野燿大(2019)
■4位 藤本定義(61途)、D・ブレイザー(1979)、星野仙一(2002)、岡田彰布(2004)、真弓明信(2009)、金本知憲(2016)
■5位 中西太(80途)、和田豊(2012)
■6位 中村勝広(1990)、藤田平(1996)、野村克也(1999)

1980年以降、就任初年度でAクラスになった監督は安藤統男と矢野燿大のみ。優勝監督である藤本定義、星野仙一、岡田彰布でも初年度は4位で、名将・闘将と呼ばれた監督とて虎を手懐けるには時間を要している。

そして、実はこの歴代監督の中には“1年を戦い切れなかった”幻の監督がいる。タイガース90年の歴史上、もっとも「けったい」な監督である第8代・岸一郎。冒頭で記した「虎の血」の主人公でもある。

タイガースの第8代監督に就任した岸一郎。大正時代の学生野球経験しかない謎の老人だった(写真/遺族提供)
タイガースの第8代監督に就任した岸一郎。大正時代の学生野球経験しかない謎の老人だった(写真/遺族提供)

岸については、日本における野球評論の草分け的存在である大和球士が1980年にこんな預言じみたことを書いている。

「(阪神は)常に実力兼備でありながら大型小型の内紛を繰り返し、優勝回数はたった二回(※当時)。情けない限りである。チームの和を欠くという阪神の悪伝統の原点は、昭和30年岸一郎の退陣事件にある」

それは、タイガースの悪しき伝統であるお家騒動の原点。1955年、岸一郎監督1年目のシーズンは、開幕からわずか2ヵ月、33試合だけでの退任。異様である。

れっきとした監督経験者なのに、球団ヒストリーを展示する甲子園歴史館にわずか3行の記述しかないこの謎に包まれた監督。そもそもプロ野球経験はなく、中央球界でも無名。タイガースの監督に就任する前は、福井の敦賀で農業をして暮らす60歳のおじいさんであった。

そんなおじいさんが大阪神の監督になってしまった理由は、当時の野田誠三オーナーに対して手紙で自身を売り込んだからだといわれている。
 
「私なら今の動脈硬化を起こしかねないタイガースから古い血を入れ替え、新たな健康体に立て直すことができる」

岸は老いたダイナマイト打線からの脱却と、広い甲子園を活かした投手を中心とした守りの野球を提唱する「タイガース再建論」を手紙で直訴すると、なんの因果か冗談か、本当にタイガースの指揮官に抜擢されてしまったのだ。

なんというシンデレラストーリー。しかし、現実は甘くなかった。