「外国人投資家は日本株投資を見直す可能性」
株価指数は前触れなく逆回転し、1年以内に想像を絶する急落が断続的に襲うだろう。熱狂は恐怖に一変する。しかし同時に、それこそが令和最大の買い場となる。
AI関連株の虚像は剥がれ、本物だけが残る。暴落後には、資本政策やガバナンスの歪みが正され、日本企業の眠れる価値が解き放たれるはずだ。
ただ、市場を語るときに無視できないのが政治の風景である。近年急速に勢力を拡大している参政党だ。彼らの根気ある活動は戦後の創価学会を思わせ、草の根で支持を広げている。「お金がなくても、地位がなくても一緒に日本を変えよう」という訴えは、不安定な時代に響きやすい。
だが外国人投資家やアクティビストは、この動きを冷ややかに見ている。参政党のナショナリズム的政策は「日本人ファースト」を前面に押し出し、株主還元や市場原理を軽視する姿勢が垣間見える。
これはグローバル市場の潮流に逆行する。ブルームバーグは「外国人投資家は日本株投資を見直す可能性がある」と報じ、オーストラリアの投資家は「海外投資家に消極的な姿勢はネガティブ要素だ」と指摘した。
熱狂と失望は繰り返す宿命のように日本市場を覆ってきた
一方で「構造改革が進めば投資先としての魅力は失われない」と冷静な見方もある。しかし市場は理屈では動かない。外国人マネーの流出入が短期的にボラティリティを高めるのは避けられない。
ここに市場の本質がある。参政党の台頭は政治的出来事にとどまらず、市場に不確実性を持ち込む。長期資金は慎重化する一方で、ヘッジファンドは「不確実性こそが収益機会」と見て動く。
不安と分断が広がれば、オプション市場は活況を呈し、ボラティリティは跳ね上がる。アクティビストは「安い日本」を狙い撃ちし、ヘッジファンドは揺らぎそのものを獲物にする。
考えてみれば、我々が踊らされてきたのは今回が初めてではない。1980年代のバブルでは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の幻影に酔い、ITブームでは“新時代の幕開け”に熱狂し、リーマン前夜には金融工学の幻想に踊った。
そしてそのたびに急落と痛みを経験したはずなのに、相場が高揚すると人々は再び同じ舞台で踊り出す。結局のところ、熱狂と失望は繰り返す宿命のように日本市場を覆ってきたのだ。