辛くて北朝鮮に戻ろうかと思ったほど過酷な脱北体験 

――脱北のことを教えてください。

2015年5月に北朝鮮北部の恵山(ヘサン)から鴨緑江を越えて中国へ出ました。ブローカーに3000~4000ドルを支払いました。中国に入り、渡されていた携帯電話で電話をかけようとしましたが、電波がない地域で通じない。それで道がない山を48時間、飲まず食わずで歩き続けました。辛くて北朝鮮に戻ろうかと思ったほどでした。

本当に幸運なことに車に乗せてくれた中国人に、電波が通じる場所まで連れて行ってもらい中国側のブローカーに会えました。電車で中国南部の昆明まで行き、そこから車で南のラオスとの国境を目指しました。

ところが途中の検問で拘束されました。係官を買収しようとしてもだめで、「もう最後だ。北朝鮮に送られる」と絶望して自殺も考えました。でも理由は分からないのですが13時間ほどして釈放されたんです。奇跡としか言えないです。

脱北から開店までの経験を話してくれた文蓮姫さん(撮影/集英社オンライン)
脱北から開店までの経験を話してくれた文蓮姫さん(撮影/集英社オンライン)

 ――それで脱出に成功したんですね。

最後は中国とラオスを結ぶバスで国境を越えました。他に2人の脱北者カップルと一緒で、客席の下にある狭いスペースに3人が隠れラオスに着きました。鴨緑江を渡って9日か10日後のことです。

保護されたラオスの韓国大使館には脱北者が150人ほどいて、韓国への移動に順番待ちで4か月ほどかかりました。それから社会に定着する教育を受けて社会に出ました。アルバイトをした後、出版社に就職しました。

母と弟は2016年11月に、弟が軍隊でけがをして治療で家に戻って来た機会に脱北に成功しました。母は韓国の料理事情を調べ、2019年にソウルに店を開きます。私はそこで働き、当時食べに行った焼肉屋を経営していた旦那さん(夫の勝又成さん)と知り合って結婚したんです。

そして彼も私たちの店に入り、母が一対一で料理を教えました。それで去年3月に千葉に新しいお店を開くことになったんです。

お店の看板メニュー「水冷麺」(撮影/集英社オンライン)
お店の看板メニュー「水冷麺」(撮影/集英社オンライン)
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――脱北したことを振り返ってどう思いますか?

北朝鮮はコロナ禍で国境警備を厳重にし、今だと脱北はとても無理でしょう。私は祖母に勧められるまで脱北という言葉も知りませんでしたが、祖母が言わなかったとしても、きっと私は脱北していたと思います。

失敗して北朝鮮に戻されたとしても、また必ず脱北していたと思います。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班