「この国はだめだ」と言い続けた祖母の勧めで脱北
――家族と料理とのかかわりはどのようなものですか?
済州島(韓国南部)の海女だった母方の祖母は1930年代ごろに日本に渡り、同じく済州島出身の祖父と結婚し、大阪で革製品の工場をやっていたそうです。
その後東京に行き、母が生まれた後の1960年代中盤に帰国事業で北朝鮮へ行き、南西部の海州(ヘジュ)で料理関係の企業所で勤めた後、祖母が平壌冷麺の店を始めました。あの時代に自分の店をもつのはかなり異例なことだったようです。
その娘である母は看護師でしたが、父と結婚後に料理の研究をする「料理士」になり、平壌に引っ越した後、ついには北朝鮮で最高の「高麗ホテル」の地下に場所を借り、店を開くまでになりました。
――どうして脱北を考えたのですか?
私は平壌の商業大学を卒業しましたが、大学の時に父が亡くなりました。すると後ろ盾を失った母に当局の圧力が強まったんです。店で、禁止されていることをしたと言われたり……。私自身も卒業後に決まっていた人民軍部隊への配属が取り消されました。
そこは賄賂も使ってつかんだいい配属先で、そこでの勤務の後は大学で学んだマネジメントの道へ進むことを考えていたのですが、それがなくなった。金日成(主席)と抗日闘争を一緒にしたという人物の孫娘がそこへ配属され、私は出身が問題になってこの先もチャンスはないと祖母に言われたんです。
その祖母は「生まれた済州で死にたい」と言って2014年に一度脱北しました。でも中国で捕まって送還され、収容所に入れられました。出てきた祖母は「この国はだめだ」と言い続け、私に脱北しなさいと勧めたんです。
それで私が先に脱北し、母は当時人民軍にいた弟が戻ってきたら一緒に脱出することを決めたんです。