信頼構築のためのテクノロジー
ここで注目すべきは、最新のテクノロジーやマスク供給といった成果だけでなく、台湾における制度への信頼と、民主主義への参加が他に類を見ないほど高い水準にある点だ。
投票率は、投票が義務づけられている国を除けば世界で最高水準であり、国民の91%が民主主義を「かなり良い」と見なしている。
たとえばマスクの迅速な供給は、前提として市民たちと政府がお互いに信頼していなければ不可能だっただろう。そしてともに解決策を提案し実現するその姿勢は、さらなる信頼構築へとつながっていった。
民主主義制度に対する信頼は、とくにここ十数年の間にすべての民主主義国、とくにアメリカと発展途上の民主主義国で低下している。世界的な様相は一様ではないが、民主主義諸国における主要な制度(政府、公立学校、メディア、法執行機関など)への信頼が低下しているという一般的な傾向は広く見られる。
社会を覆う不信感、信頼の欠如は深刻な問題を招く。国連事務総長のアントニオ・グテーレスは2020年に、SDGsの進展を損なう恐れのある信頼の欠如について警告している*1。
また信頼は、社会の秩序維持だけでなく、複雑な結びつきではあるものの経済成長と関連していると言われる*2。たとえば政治学者のロバート・パットナムは、ゲーム理論と歴史を接合しつつ、北・中部イタリアにおいて社会的信頼がいかに経済のダイナミズムや政府のパフォーマンスを支えてきたかを描き出している*3。
近年、暗号通貨とそれを支えるブロックチェーンのテクノロジーに注目が集まっており、それは銀行のような第三者や、参加者同士の信頼がなくても稼働する「信頼不要(trustless)」なシステムだと言われる。
他方、Pluralityプロジェクトもこれらのテクノロジーを利用するが、それは信頼不要なシステムではなく、「信頼構築(trust building)」のために使われる。台湾の事例が示しているように、テクノロジーは政府と市民、そして市民同士の信頼構築に貢献できるのだ。
もうひとつの道は可能だ。テクノロジーと民主主義は、互いに最大の味方となりうるのだ。「民主主義」と聞いてうんざりした人もいるかもしれない。事実、昨今の情勢は民主主義に幻滅する理由に事欠かない。企業リバタリアンや統合テクノクラートでなくとも、投票や熟議に対して懐疑的になるのも無理はない。
しかしオードリーたちの言う「民主主義」は、現行制度の単なる補完にとどまらない。それは、原子論的に構築された近代社会を、多様な人々の協働によって刷新することを目指している。この宇宙は多元的な構造を有しており、人々のつながりは統合テクノクラートや企業リバタリアンの物語には収まらないポテンシャルを持っているのだ。
そのため、既存の民主主義もまた多元性のポテンシャルを活かせていないために批判される*4。多元的テクノロジーは人間の創造性を拡張し、市場取り引きや豊かなコミュニケーションを促進するのである。
民主主義は時代遅れの遺物などではなく、むしろ私たちがこれから歩いていく道/DAOである。その道/DAOを、オードリー・タンとグレン・ワイルは「デジタル民主主義」と呼ぶ。
この道/DAOを歩くのに、天才である必要も、テクノロジーの専門家である必要もない。私たち一人ひとりがぶらぶら歩いたり、ときに立ち止まったり、多様な人々とともに歩いたりすることで、社会全体が豊かになる道/DAO。それがデジタル民主主義なのだ。
脚注
*1 United Nations, “Secretary-General Highlights ‘Trust Deficit’ amid Rising Global Turbulence, in Remarks to Security Council Debate on ‘Upholding United Nations Charter’,” Jan 9, 2020. https://press.un.org/en/2020/sgsm19934.doc.htm
*2 ベンジャミン・ホー、庭田よう子訳『信頼の経済学 人類の繁栄を支えるメカニズム』慶應義塾大学出版会、2023年、73頁。
*3 ロバート・D・パットナム、河田潤一訳『哲学する民主主義 伝統と改革の市民的構造』NTT出版、2001年。
*4 たとえばイーサリアムの創設者であるヴィタリック・ブテリンは、オードリーたちの多元主義は伝統的な民主主義と異なると指摘している。Vitalik Buterin, “Plurality philosophy in an incredibly oversized nutshell,” Aug 21, 2024. https://vitalik.eth.limo/general/2024/08/21/plurality.html
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