ベテラン警察官は「いや、見えてるんだろ」と…
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
応援が来るまでの間、なだめるAさん達の言葉には耳も貸さずに、手で顔を覆って下を向き許しを乞う被疑者。
Aさんは被疑者が指を差していたヘッドライトの先——女がいるという場所をちらりと見たが、彼の言う人影など何も無い。
(幻覚を見てしまうほど被疑者は精神的に疲れてしまったのだろうか……?)
面倒くさいことになってしまったなとため息を吐きつつ、ライトの向こうに広がる暗闇を見ていると──急激な寒気が襲ってきた。
被疑者の言葉に釣られてしまったのだろうか?
頭の中は一刻も早く実験をしなければ同条件下の実験ではなくなってしまうといった業務の心配でいっぱいで、お化けのことなんか考えてもいないはずなのに──なぜ急に冷蔵庫の中に入れられたかのような寒気が襲ってきたのだろう。
そう考えているうちに応援の警察官達が車の周りに集まり、Aさんは今起きた一部始終を説明した。
「実験が始まる前からちょっとナーバスになってたんで、思い込んでいるというか精神的にきてるのかもしれないですね。どうします?実験は別日にしましょうか?」
「いや、見えてるんだろ」
さもありなんとばかりに返事をしたのは交通事故捜査係の中でも一番のベテラン警察官のN巡査部長。定年までいくらもないといった生き字引的な存在であり、制服警察官であるにもかかわらずなぜかチョビ髭を生やすことを署長から許されている変わった人だった。
「たまにあるぞ。昔似たようなこと言う被疑者がおったわ。おう、俺が話するからちょっと待っとけ!」
N部長はそう言って被疑者が乗っている車に近付き、遠慮する様子もなくガチャリと運転席のドアを開けて被疑者に語り掛けた。
「見えたんだな?そりゃあ当たり前だろう。お前はあの人の人生を奪ったんだぞ、それは事実だろう。もし自分が逆の立場だったらどう思うよ?この野郎って文句の一つも言いに行くだろう?お前はな、その思いに真正面から向き合わなきゃいかん。今のお前ができるのはこの捜査にしっかりと協力して、この事故がどういう事故だったのかをちゃんと解明することだ。そうやって反省している気持ちをしっかりとあの人に伝えろ。泣いてる場合か!顔を上げんか!」
予想外の一喝であった。
取り乱している被疑者に強い言葉をぶつけたら更に状況が悪化するのではないかと心配したが、それは杞憂に終わった。
「分かりました……すみません……ちゃんと最後までやります」
目を泣き腫らしながらも、部長の言葉を聞いてから急に我に返った被疑者の男。
他の交通課員達も彼に色々と話しかけ、どうやら落ち着きを取り戻したと判断されたことにより、実験は再開されることになった。