※紹介する全ての話は個人情報の特定ならびに捜査情報流失を防ぐため、事件事故および場所や人物の状況等を元の話から一部変更を加えている。また本書には、詐欺を目的に行われている悪質な霊感商法を肯定する意図は一切無い。
見えざる証人
鑑識は殺人や窃盗といった刑事事件のみを担当している訳ではなく、警察の各部署が管轄する全ての事案において現場臨場し証拠資料採取活動を行っている。
もちろん事案発生率に偏りはあるので、窃盗や暴行傷害といった現場に臨場する割合は実際に高いのだが、刑事事件に迫る高い割合で臨場する部門の現場がある。
それは交通事件の現場だ。
当て逃げや飲酒運転事件でも臨場する場合があるが、特に轢き逃げ事件が発生した際は必ず現場に鑑識が臨場し、被疑車両が残した僅かな痕跡を見つけ出して採取している。
交通事件現場は専門の交通鑑識が臨場するものと思っている方もいるが、実は全国的に見ると交通鑑識部門が充実している県警は少ない。一応交通鑑識は設置されているものの、所属する人数が少なかったり、そもそも設置されていない県警もあるのが実情だ。
そのような場合、普段は刑事部門に所属している鑑識が交通事件の現場にも臨場して現場作業を行うことになる。
これは某県警の刑事部門で鑑識をしていたOさんが死亡轢き逃げ現場に臨場した際に体験した話である。
ある日の真夜中、Oさんは携帯電話の着信音で目が覚めた。寝ぼけ眼で見た携帯電話の液晶画面には「警察署」の文字が表示されている。
「はい、Oです」
「当直の○○です。隣の署の管轄なんですけど死亡轢き逃げがありまして、近隣一帯の鑑識に現場応援要請が出ました」
「あー、了解です、すぐ行きます」
そう答えるとOさんは布団からむくりと起き上がり仕度を始めた。
死亡轢き逃げ事件は殺人や強盗と同じく重要事件の扱いとなるため、発生した際には管轄警察署だけでなく、近隣警察署もそれぞれの管轄地域内で一斉検問を行うのだが、鑑識は管轄地域という概念に関係なく緊急招集がかかり、遠方地域であっても現場臨場を行うのである。
夜中の呼び出しはいつになっても嫌なものではあるが、隣接署の現場応援ならば近くて少しは気が楽だなと思いつつ、バタバタと準備を済ませたOさんは警察署に行き、事案の状況を当直員達から聞いた後に、鑑識車を緊急走行させて現場へと向かった。
現場は山間部の住宅地域にある国道。
直線が多く見通しも良い道路だったが、周囲に信号や街灯は無いため夜中になると暗闇に包まれる場所だった。
110番通報をしたのは付近の住民。就寝中、国道から大きな衝撃音が聞こえたことで目を覚まし、まさかと思って外に出たところ、国道の真ん中に倒れているお婆さんを発見した。
あの衝撃音から考えても車に轢かれたに違いない、と思ったという。
だが、その住民はお婆さんを撥ねたと思われる車を見てはおらず、車種も逃げた方向も、何もかもが分からない状況だった。
お婆さんは救急隊によって病院に搬送されたのだが、全身を強く打っており、後に死亡が確認されたという事案であった。