後日談「ライトの前を、ゆっくりと横切る人影が…」
「はいじゃあ後よろしく、ちょっとキツかったかもな、慰めといてくれ」
そう言うとN部長は待機用の車両に乗り込んだ。さすが百戦錬磨のベテラン警察官といったところだろうか、被疑者に合う上手い言葉をチョイスして落ち着かせるその技にAさんは感心してしまった。
そして無事に照射実験は終わり、その後も取り調べや補充捜査が行われ、最終的に男は過失運転致死の罪で送致された。
これまでも事故現場での見分や再現の際に気分が悪くなったり、泣き出したりした被疑者は何人かいたが、今回のようなケースは初めてだったのでAさんにとっても大変印象深い実験になった。
だが被疑者の言うことを信じた訳では無い。
精神的に落ち込んでいたところをN部長が彼に合うように上手いこと活を入れて励ましただけ──としか思っていなかったのだが、後日驚くような話が出て来たのである。
被害者役として衝突地点で待機していた警察官の話だった。彼は実験当日に見たものを次のように説明した。
照射実験が開始され、現場の物陰に隠れて待機をしていると通りの向こうからヘッドライトの灯りが見え始めた。
(お……来た来た……)
タイミングを合わせてゆっくりと歩き始めた途端、車が急に停まったのが見えた。
(あれ?どうしたんだろう?)
あんな離れた場所で停まるはずがない、何かトラブルでもあったのだろうかと思って遠く離れた場所に見えるヘッドライトの灯りを凝視していると──ライトの前を、ゆっくりと横切る人影が見えた。
(通行人がいたのか?それとも車両トラブルでAさん達が車から降りたのか?)
なんにしても照射実験中に車両の前に出てくるのは被害者役の自分だけのはずである。これはきっと何かあったな……そう思いながら待機をしているとAさん達から無線が入り、実験は一時中断して車に集合することを知った。
車に集合した時は、さっき見たライトの前を横切る人影は、被疑者が取り乱したのでAさんが外に出て車両の周りを歩いたのだろうと思っていたけれど、Aさん達の話を聞く限り、その時誰も車の周りを歩いてはいなかったようだ。
そうなると……私が見た人影はもしかして……。
彼を含めた交通課の警察官数人でこんな話をコソコソとしていたのを、Aさんは聞いたのだ。
N部長の言葉は被疑者に合わせてその場限りの事を言ったのではなく、本当の事だったのだろうか?あの時自分が感じた寒気も勘違いではなかったのか?
何が本当の事なのかは未だに分からないが、この死亡事故はAさんにとって生涯忘れることのできない取扱い事案の一つになったそうだ。
文/藍峯ジュン