「得体の知れない恐怖」を描く

―そもそも「Jホラー」とはどのような映画を指すのでしょうか。「日本製のホラー=Jホラー」というわけではないですよね。

ひと言でいうと、日本発の「“得体の知れない恐怖”を描いた映像作品」ということになるかと思います。そのような作品が、90年代の日本で同時多発的に生まれたんです。その作り手たちが互いに影響を与え合いながらブラッシュアップしていき、日本だけでなく海外でも評価されるようになると、それらはいつしか「J(Japanese)ホラー」と呼ばれるようになりました。

Jホラー特有の要素としては、具体的に「陰鬱な画作り」「じめっとした空気感」「抑制された効果音」「恐怖の対象がはっきりと現れない」「エロティックなシーンがない」などが挙げられます。

それまでの日本のホラーは、『東海道四谷怪談』(監督:中川信夫 、1959年)に代表される怪談映画が主流でした。そこではおどろおどろしい効果音やBGMとともに、どぎつい照明の中で、いかにもなお化けが出てくるわけですから、その違いは明白ですよね。

恐怖の対象についても、Jホラーにはモンスターや殺人鬼といったわかりやすい敵は出てきません。敵がわからないから倒しようがない、勝ち目がない。そもそも「勝ち負けを想定していない」というか、作品世界に一歩踏み込んだら最後、もう恐怖に浸るしかないんです。

最重要作『邪願霊』から最新ヒット『カラダ探し』まで。低迷していた「Jホラー」が再ブームとなったワケ_1
WEB映画マガジン「cowai」編集長の福谷修(ふくたに・おさむ)さん
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―どうしてそのような作品が生まれたのでしょうか。

90年代というと、いわゆるバブルが弾けて、日本経済に暗雲が漂い始めた時代で、社会不安が都市伝説として広まりやすくなった背景もあると思います。

作品のルーツとしては、当時のJホラーの隆盛を担った作り手たちが揃って言及するのが、イギリスの心霊ホラー『回転』(監督:ジャック・クレイトン、1961年)です。些細な、しかし度重なる怪奇現象、曖昧な幽霊描写といった抑制された恐怖演出が、リアルな感触を生み出していました。

ほかにも、イギリスのフェイクドキュメンタリー(フィクションをドキュメンタリー映像のように演出する表現手法。モキュメンタリーとも)「第三の選択」(1977年)はホラーではありませんが、“Jホラーの起源”(※後述)といわれる「邪願霊」(監督:石井てるよし、脚本:小中千昭、1989年)に影響を与えていて、ここでもドキュメンタリー風の作りがリアルだったという点が大きい。

つまり大切なのは「日常と地続きのリアルな恐怖」です。日本の作り手たちがさまざまな衝撃と刺激を受けながら、従来の日本の怪談映画では決して体験できない、まったく新しい恐怖にこだわった成果がJホラーといえるでしょう。