「私と目が合ったんです……」
事故現場から約100メートル離れた位置に車を停め、改めてAさんが被疑者に実験の説明を行う。
「さっきも言ったけど、実際どのように見えるのかが分かるように再現をしていきます。ゆっくりでいいから車を進めて下さい。この先に被害者と同じような格好をした警察官が事故が起きた地点で同じように歩いているから、見え始めたら教えてね。その都度、地点の計測をして状況を写真に撮って行くからね。大丈夫?」
被疑者に説明をしたところ、彼はブルブルと震え始め呼吸がだいぶ荒くなっていた。
「すみません……どうしてもあの事故の事を思い出してしまって……ここを通るのが怖いんです……女性を撥ねた瞬間の振動と、ガラスにぶつかる直前の顔が忘れられないんです……私と目が合ったんです……」
俯きながら震える体を両手で押さえ、絞り出すようにそう言った。
(大丈夫かな……)
場合によっては実験ができないかもしれない、そう心配したAさんであったが、被疑者は腹を決めたのか大きく深呼吸をすると
「すみませんでした……大丈夫です、車を進めます」
なんとか落ち着きを取り戻したようだったので、Aさんは無線で他の警察官に照射実験開始の通信を行い、闇夜の中、三人を乗せた車はゆっくりと進み始めた。
事故現場まで90メートル、80メートル、70メートル、じわじわと車は進んで行き、50メートル付近に差し掛かった時、被疑者は急にブレーキを踏んだのだが、まだその位置では被害者役の警察官の姿は全く見えていない。Aさんは彼に急停車の理由を尋ねた。
「どうしたの?」
「あ……見えました……見えました、今見えてます……」
震える手で道の奥を指差しているが、そこは衝突地点とは全く違う場所であり誰の姿も見えていない。
衝突地点については、事故当日に被疑者立ち会いで見分を行っているから、どのポイントで事故が起きたというのは彼も分かっているはずである。
「いやいや、前一緒に見分したでしょ?衝突地点はもう少し先だよ?あと……誰もいないよ?」
「え!?じゃああそこに立ってる女の人誰ですか?なんでこっち見てるんですか!?こっちに来てる!ああああ!!ごめんなさいごめんなさい‼」
完全に取り乱した様子になり、彼は泣き始めてしまった。
交通事故の加害者がPTSDを発症する事は珍しくない。交通事故というのは加害者の心にも大きな傷を作ってしまう。
実際に警察が加害者を立ち会わせて事故の現場見分を行う時に、フラッシュバックを起こし加害者自身が泣き始めてしまうケースというのはよくあるそうだ。(ここまでの状態になるのは初めて見たな……)加害者が多少泣いてしまったときは、いつも落ち着かせてから再開するのだが、さすがにこの精神状態で続けてしまうと、実験そのものの証拠能力が認められなくなる恐れもある。
Aさんは照射実験を一時中断する旨の無線連絡を行い、付近で待機していた他の警察官達に応援を求めることにした。