盟友・野茂と金銭トラブル報道で一気にどん底へ

帰国後、オリックスにテスト入団するも、「正直、7割はやりきったという気持ち。現役晩年は結果を残すことよりも、自分の経験を誰かに伝えたいという思いが強くなった」と2003年限りで引退を決意、フリーの野球評論家としての活動を開始する。しかし……。

「最初はそれなりに仕事があったんです。それが徐々に減っていって……。そんなこと家族に言えないし、営業がてらの会食の頻度も増えてどんどん散財してしまって……」

それが最悪の形で世間に露呈する。2018年に報道された野茂英雄氏との金銭トラブルだ。家族もそこで初めて我が家が経済的に困窮していることを知り、家庭は崩壊。後に離婚している。

どん底のなかで持病だった糖尿病が悪化し、昨年5月に右腕を切断せざるを得なくなったことは前編で紹介したとおりだ

しかし、冒頭の言葉のとおり、佐野さんは持ち前の明るさを失っていない。

親交が深かった野茂英雄氏と一緒にトレーニングする近鉄時代の佐野さん。野茂氏はトミージョン手術や渡米の際にいろいろと佐野さんをサポートしてくれたという。しかし、2018年に野茂氏との金銭トラブル報道。「決まっていた仕事がすべて吹っ飛びました」(写真/共同通信社)
親交が深かった野茂英雄氏と一緒にトレーニングする近鉄時代の佐野さん。野茂氏はトミージョン手術や渡米の際にいろいろと佐野さんをサポートしてくれたという。しかし、2018年に野茂氏との金銭トラブル報道。「決まっていた仕事がすべて吹っ飛びました」(写真/共同通信社)

「始めて隻腕になった自分を鏡で見たときはいろいろネガティブな感情も湧いてきた。でも障がい者になったからってコソコソしてるのもおかしいでしょ。鏡のある洗面所からベッドに戻るとき、自然と左手でシャドーピッチングをしてましたよ」

根っからの野球人なのだろう。退院して間もなく、年末、神宮球場で行われる少年野球大会での始球式のオファーが届く。

それを目標に順調にトレーニングを重ね左手での投球もさまになってきた。しかし、今度は腰への感染症が発覚。始球式まであと1か月という段階で、再度の長期入院を余儀なくされてしまう。

「正直、『またかよ……』と心が折れそうになりました。でも絶対に始球式には行きたかった。公で元気な姿を見せて子どもたちや同じ糖尿病患者を勇気づけたい気持ちもありましたしね。

それまでのトレーニングはムダになったし、前日に少し歩行練習をしたくらいのぶっつけ本番。当日は入院中の病院からタクシーと車いすで神宮球場に向かいました」

始球式のマウンドに立つ佐野さん(写真/本人ブログより)
始球式のマウンドに立つ佐野さん(写真/本人ブログより)

始球式の映像を見ると、佐野さんの顔色の悪さが目立つ。まさに満身創痍だったが、見事、左手のみの“ピッカリ投法”を披露。マウンド手前からのワンバウンド投球に、球場は拍手に包まれた。